その後死を迎えるまで 1いつもは午後3時くらいから入ってたのを午前中から入って看護することとした。主人にもなるべく早く来て少しでも顔を見ることで姑を安心させるようした。 6月22日 姑の長兄と姉は昨日帰った。 AM11:30から病院に入るがやはり薬(座薬あるいは注射)をしてもひどくなる。投与後は少し落ち着いて寝られるもののもって2時間くらいみたい・・・ 6月23日 状態は昨日と変わらず。AM11:50ごろ病院に入る。 6月27日 この日はAM10:50ごろから病院にいた。 昨日姑は吐き気が強くあまり寝られなかったみたい。 ということで鼻から管を入れてる最中だった。 このことによって嘔吐を管から直接出すことが出来るみたい。 したがって嘔吐より体力はあまり奪われずにすむみたいで・・・ このころから姑は自力で起き上がることが難しくなってきた・・・ 人の手を借りるか別途の脇柵につかまらないと難しいみたい。 6月29日 AM8:00に痛み止めの座薬を投与。 PM2:23に吐き気止めの注射をする。 抗がん剤(カンプト)を行う。 6月30日 AM8:00とPM12:00に痛み止めの座薬を投与 PM12:00吐き気止めの座薬を投与する。 7月4日 毎日病院について必ず行うのが吐き気や痛み止めなどの薬を何時に頂いたかというのを姑から聞くのだがどうやら徐々に痛み止めのせいか記憶が飛ぶようになってしまったので看護婦さんに聞いて回る日々になった。 そして私のいないときに主治医が来たみたいで 白血球が1400のため今週の抗がん剤は投与不可とのことだった。 そして2週間抗がん剤を休むということになった。 AM11:30痛み止め、吐き気止め座薬投与。 PM2:00ごろ痛み止めの注射投与。 PM6:30ごろ痛み止めの注射再投与 7月5日 病院に着くと主治医が姑と話してたので廊下で待機する。 ほどなくして病室から出てきたのでいろいろと話す。 ・先週の抗がん剤の影響で白血球が下がってる。 ・抵抗力もなくなってるので2週間パスする ・お腹の張りは腹水によるもので出来るだけ利尿剤でコントロールするがそれでも本人がどうしても苦しいと訴えれば腹水を抜く措置を取る。でもまた2,3日したら腹水でパンパンになるし栄養剤(IVH)も逃げちゃうのであまりおすすめしたくないと・・・ という話だった。 AM8:00痛み止めの注射、吐き気止めの座薬。 AM11:00利尿作用を促す注射 PM3:07吐き気止め注射 7月6日 AM8:30吐き気止めの注射 PM1:00利尿剤の注射 PM3:12痛み止めの注射 7月7日 熱が37.8゜もあり氷枕をしてた。 薬のほうも AM8:00痛み止め、吐き気止めの注射 AM10:00痛み止め注射 AM11:00利尿剤注射 7月8日 今日も熱が37.7゜あり氷枕をしてました。 7月9日 今日は熱が36.7゜でした。 痛み止めのために貼ってた貼り薬を取り替えました。 AM7:30座薬の吐き気止め AM8:00、AM11:00痛み止め注射 AM9:30利尿剤注射 PM5:45吐き気止め注射 この日姑がPM3:45ごろめまいと動悸を訴えた。 血圧は138/78、脈は106ということで異常ないということだったが私は姑に何かあってはならないと思いナースコールをして用件を伝えるもののナースのとろさにいらいらする。今後はトイレに行くときはナースコールをする。付き添いがいるときはトイレまで同行することとなった。 PM4:00症状は治まる。 ナース曰く貧血? 7月10日 AM8:00痛み止め座薬 AM9:30利尿剤注射 体がだるいといい熱を測ると37.5゜ 氷枕をする 姑が横になってるときに看護婦が来たのでこんなに頻繁に熱が出るわけを聞いた。 おそらく癌が熱を出しながら体中蝕んでるだろうとのこと。 もし下がったとしてもそれは気休め程度しかならずグンと下がるわけではない。上下言ったりきたりすると思うとのことだった。 これ以上癌は何のために姑の体を蝕もうとしてるのか・・・ |