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カテゴリ:誰もが書ける作文教育(文ちゃん人形)
6年生のクラスの補教。 担任が作文を書かせるよう指示があります。 数名の子どもが、鉛筆を立てたまま、考え込んでいる風景。 このようなことを何処の学校でも、見てきました。
これは、書く力がないからなのですね。 どうやって、書く力を着けるか、仲間・公立大学教授(この教授は、大学生の書く力がないことを嘆いて、学生に指導をして、研究をしていました。)・保護者らの研究して来ました。
書く力、これは、学べば付きます。 100ます作文は、書く力を高めようとして出した本でしょうね。
ここでは、書く力をどう着け、高めるか、僕らが研究してきた事をご報告致しますね。 ご批判・ご検討下されればうれしいです。
始めに、2年生が、書いた作文をご紹介致しますね。 「先生、原稿用紙をください。」と、帰りがけに行ってきたM君。 それが、10日ほど続きました。 何をするのか、分からないが、あげました。 10日ほどたって、 「先生、これ。」 と言って、持って来たのが、この作文でした。 240字の原稿用紙で、465枚でした。 全体を重ねて、2つ折にすると。 5分冊にしました。 1冊が、約100枚でした。 これは、この遠足の朝、起きる時の事を書いています。 これと下の作文は、高尾山の階段を数えながら登っているところを書いています。 2年生らしいですね。 お弁当を食べている所です。 子ども(人間)は、内言(ナイゲン・思い・考えなど)を持っていますから、 書き方が分かれば、鉛筆を立てたまま、ということは、起こらないでしょうね。
ある子どもの書き出し(読解)です。
さて、このように書けるようになる指導をの中で、 次のようなポイントが、見えてきました。 1 話すから書くへの移行を考える。(文カードを使う) 2 一文を書く指導をしっかりする。(文ちゃん人形を使う) 3 何と書くのかの指導(三大ニュースの導入) 4 文学的文章の書かせる(想像の文章) 5 共同助言を取り入れる(話し合い) 6 毎日書く(一日5~10分でよい) 7 教師・保護者などは、あったいコメントを
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作文を書く能力は
よく見る力、よく感じる力、よく考える力、よく聞く力、よく行動する意志の結果でしょうね。 ですから、国語の指導は、子どもたちをよく見るように、よく感じるように、よく考えるように、よく聞くように、よく行動するように促すこととセットにして考えることなのでしょうね。 つまり、国語の授業の中には全てが入っていると言うことですよね。 (2007.12.12 09:31:28)
う~ん。私は我が子が2年生でこの作文を書いてきたら、非常に悩むと思います。あった出来事を時系列どうり並べているだけのように思えるので、「こう書くのが作文だ。沢山字を書くのが作文だ。」と思っているのかな?と確認してしまいそうです。先生と保護者とで見方が違うのかも知れませんが・・・
それから森の声さんも書かれていましたが、算数もある程度のレベルになると、読解力、イメージを図にしてみるなどの想像力のようなものがないと解く事はできません。基本が体に見に染み付いていないと、ひらめきも生まれません。算数の楽しみをみすみす逃すのはもったいないなあと思いますよね。 計算力がないと困るのは、理解していても、点数として(答えとして)結果が出ない、という事だけです。 でも、計算力がなくて、点数がとれなくて、本人ががっかりして意欲を失くすようであれば、やっぱり困るのですよね。 勉強は楽しいもの、のはずなのです。 (2007.12.12 09:42:25)
振返ってみると、学校で書くことは、とても少なかったように思います。
記憶にあるのは、穴あきのテキストを埋める作業。 書く機会がもっとあったら、楽しかっただろうなあと思います。 小さかった頃は、自分で紙芝居などを作っていたこともあったのです。 自分が書くことを好きなだということに、もっと早く気づいていればよかったなあと思います。 国語を勉強すればするほど、嫌いになっていきました。 国語が嫌いになるのは、型どおりのものが出来ない、わからないからでした。 今日さんの生徒さんの作文、すごいですね。 生き生きと書いて、それを見てくださった先生の存在が大きかったのではと思います。 (2007.12.12 10:54:08)
ここまでこの子に「書きたい」「書くことは楽しい」と思わせることができたのは、今日先生の大きな功績だと思います。
あたたかいコメントなど、日ごろのご指導の賜物だと思います。 ただ、「量」にはあまりこだわらないほうが良いのではないか、と思いました。 「多い」ということはそのまま「良い」にはつながらないので・・・・ (2007.12.12 12:40:18)
森の声さん
>作文を書く能力は >よく見る力、よく感じる力、よく考える力、よく聞く力、よく行動する意志の結果でしょうね。 >ですから、国語の指導は、子どもたちをよく見るように、よく感じるように、よく考えるように、よく聞くように、よく行動するように促すこととセットにして考えることなのでしょうね。 * 僕もそう考えてきました。 > >つまり、国語の授業の中には全てが入っていると言うことですよね。 * そうですね。 ----- (2007.12.12 13:01:01)
みえこ55さん
>振返ってみると、学校で書くことは、とても少なかったように思います。 * これは、事実ですね。 >記憶にあるのは、穴あきのテキストを埋める作業。 >書く機会がもっとあったら、楽しかっただろうなあと思います。 >小さかった頃は、自分で紙芝居などを作っていたこともあったのです。 * 子どもって、こいう事が、本来は、好きなのですね。 それが、作文嫌いになっている面もありますね。 >自分が書くことを好きなだということに、もっと早く気づいていればよかったなあと思います。 * まだ、お若いのですから、これからですよ。 1冊ぐらいは、今のブログを基に、まとめれれますね。 明るくて、内容がありますからね。 >国語を勉強すればするほど、嫌いになっていきました。 * すみません。義務教育にいたものとして、 責任を感じます。 >国語が嫌いになるのは、型どおりのものが出来ない、わからないからでした。 >今日さんの生徒さんの作文、すごいですね。 * そういわれても、恥かしいです。 でも、真剣にやってきました。 >生き生きと書いて、それを見てくださった先 生の存在が大きかったのではと思います。 * 子供は、このような力を、備え、持っているのですね。 ----- (2007.12.12 13:52:50)
かなにゃん3728さん
>ここまでこの子に「書きたい」「書くことは楽しい」と思わせることができたのは、今日先生の大きな功績だと思います。 * 有難う御座います。 あまりにも書けない、作文が嫌いという事が 目に付いて、一時、作文教育に打ち込みました。 30代で若かったので、多摩から五反田まで行き、帰宅は、12時過ぎでした。 大学教授・力のある先輩がいて、学べました。 波多野完治さんから、これは、新しい作文教育だと、お褒めのことばをいただきました。 >あたたかいコメントなど、日ごろのご指導の賜物だと思います。 > >ただ、「量」にはあまりこだわらないほうが良いのではないか、と思いました。 * まったく、その通りですね。 ご助言有難う御座います。 サンプルの出し方が、まずかったようで、そう解釈されたら、毒になりますからね。 皆様のコメントを読ませていただきまして、 サンプルの意義のついて、注釈をつけました。 ご助言、ありがとう御座います。 >「多い」ということはそのまま「良い」にはつながらないので・・・・ * まったく、その通りですね。 何が、どのように書かれているか、 それが、中心ですからね。 ----- (2007.12.12 14:03:14)
人間とは本来、自分のことを表現したくして仕方のない生き物だと思います。
そんな人間の心を破壊し、狂わせる方法は意外に身近に簡単に転がっているものだなと、感じることがあります。 (2007.12.12 14:06:47)
2年生でこんなにかけるなんて先生の指導の賜物でしょうね。
今学校では作文というものは何かイベント事があったときの感想文程度しかやりませんね。 作文指導の時間などきっとないのでしょうね。 (2007.12.12 16:03:10)
自由に奔放に文章を書くことに「こんなんじゃダメじゃないか」とか「もっと書くこと無いのか」とがんじがらめにしていくのは周囲の大人ではないかと思います。
息子の日記や作文を読み返しては、文句ばかり言っているおばあちゃん。 理想があるのでしょうけど、もう少し自由に書かせてあげたい。 低学年の時の方がずっとのびのび作文を書いていたのに、少し書くことに嫌気がさしているみたいです。 考え込んじゃって書け無くなっちゃう子って、心の中に色んな制限があるのかも知れないです。 (2007.12.12 17:32:21)
量に拘らない方がと言う意見に賛成ですが、ここまで書くことの楽しさ、喜びを覚えた子供は量など眼中になかったのでしょうね。
その様な教師と出会えた子供の幸福を思わないわけには行きません。 (2007.12.12 17:32:28)
子どもは書いているうちに、どんどん楽しくなって夢中になって鉛筆を走らせている様子が目に見えてきます。
楽しいことには、想像力、集中力をすごく発揮しますものね。 (2007.12.12 23:09:06)
特に子どもの表現は豊かですよね。
(2007.12.13 05:55:29)
高学年になって作文が書けないという話は良く聞きますが、それは低学年からの積み重ねがないからかもしれません。1・2年生の頃に、今日先生のような「書かせてくれる先生」に出会えばきっと書くことが苦痛にならないでしょうね。
(2007.12.13 15:12:32)
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