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カテゴリ:言語分析(文学言語理論言語日常言語)
蘭学事始・冬の鷹を例に文章を読む(書く・聞く・話す)時のわきまえを考えて見たと思います。 そのことが、文章を読む(聞く・書く・話す)時に、楽になることがあるからです。このことを、書こうとしたのは、次のようなご意見を戴いたからです。このご要望、教育上、今、とっても大切なことですね。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今日さんの日記でこれから勉強させていただきたいと思います。宜しくお願いします。(May 21, 2008 08:39:32) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ このご意見・要望は、国語科教育のカナメに座ることで、教える側が、このことを頭において、授業をすべきことでしょうね。(ピアノの弾き方で、次の本がありますが、これを読んで、ピアノを弾くことが、楽しくなりました。それと、このご意見・要望は同じですね 。
このことを蘭学事始・冬の鷹の文章で考えてみたいと思います。 ・・・・・・・・・・・・・・・ 『冬の鷹』(吉村 昭)より
この日もその者に刀を下さすべしと定めてるに、その日、その者が俄かに病気のよしにて、その祖父なりという老屠(ろうと)、齢九十歳なりといへる者、代わりとして出でた。・・・・・・・・・・・・・・
『冬の鷹』と『蘭学事始』を読んで、そこから、感じる事・わきあがってくることに、違いがありませんでしたか。 冬の鷹からは、なにかほんわかしたものが、読みながらわき起こって来ませんか。このわこ起こってくるものこれを、情感性(ジョウカンセイ)というのですね。
文章の中には、このように文学言語で書かれたものと、理論言語で書かれたものがあるということを、意識しておくと読解が楽になりますね。詩は、文学言語の世界なのですね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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