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カテゴリ:芯聞であります。
やる気がないというのもあるが、 ジャムりもあるが、見えてきて、 根本的見過ごしが整理によって炙(あぶり)り出された。
これを平易に問い出し、問いとして提出しておいた方がいいだろう。 結論に関して、解釈どうのこうのが介するよりずっと前のこと。 結論は過去円錐の基底に関するものので、それ自体は俺が気に喰わない。 単体としての切り出しゆえに点で処理するからで、それを裏表、クラインの壷処理とか、 東晃史の「メビウスの輪闘牛士」の逆さまとかいろいろ取り入れる発端となるものだから、 ま、どうでもいいが。
ここのところは枕詞。俺用の。
で、双対の幻影の2歩先、慣性系1次元横姿制限付きが次にやることだったが、 俺用の「のり代(のりしろ、糊代)」、2歩先の結論の上空である、点でなく面。 現在時の布置関係の動きの確認を求めていたら、根本的手続きのことだった。
俺が求めてたのは、C+C=2Cの衝突と、0+Cの情報認識の整理だったが、 その根幹に関しては枕詞で言ったことは分離して、成立以降の解釈とするが、
ようは、要は、ニュートンの絶対系がやっと見えたということだ。 もちろん今現在、このとこを物理知識のあるものに見せれば、 絶対空間や絶対時間は否定されたどうのこうのの混乱になるんでしないが、
そのことよりも拍子抜け。俺自身が思ったよりそれを使っていなかったわけだ。 東西線の神楽坂駅ホーム構造や、都電荒川線の上下ホームが分離した駅は、 今年の正月やってたわけだ。
あれの本当の意味が、窓枠固定、集中の手続きをしたから、これで述べられる。
ローレンツは、右進行する列車に積まれた、搭載された光時計の光子の動きを、 斜めに見た。見たといううより、地上の人。基準系の人が描く座標上の 光子軌跡。軌跡は斜め、斜線。
光時計は動いてる列車の床と天井を上下。
ここから光速度どこでも一定、どの慣性系でもから、列車幅が縮むなり、縮んで見える。 アインシュタインは、(基準系列車窓枠)フレーム内で移動する相手列車枠内の、 内部時間どうのこうのとした。
では、根本的な拍子抜けのこと。 以上は数学的手続きの話。 俺の言葉では、俺方面の言葉では、欲望とか欲動がない世界の見方。 欲望と欲動の中間である欲求だけで、それを賢さでまとめようとする見方。 数学そのものは希求だから、かまわんのだが、数学が堕落した世界では、 ドロドロしたものが関係してくる。闇とか己の身体性とか。
比較的単純な己の利益。これは欲求として捉えていいだろう。 これを皆(みんな)の利益と言うものはいない。これについてのこと。 やばい根元(こんげん)とかは、端折(はしょ)る。
現在時の布置に関してだけ述べる。
ローレンツの戯言の、動いてる列車は進行方向に実際に縮むでも、 見かけ上、縮むでもどちらでもいいが、(ほんとは意味なしてないが。)。 それとも、アインシュタインの時間と空間が一体化してどうのこうのでもいいが、
事実だけに注目しよう。事実としたことに。(これが思い込みなのだが、 双対の幻影9で示したが、これのイメージの仕方説明はあと。)
拍子抜けのこと。それは、
駅舎に古い列車車輌が利用されている。喫茶店として。 鉄道線路も、この喫茶店として利用されている古い車輌も動いていない。
地下鉄はたいてい複線だと思う。ローカル線の単線運用とは違って。 そのローカル線も、駅では、ケーブルカーの擦れ違いするところのようなものになってる。 地下鉄駅では、ホームが複線に挟まれた島にあるものと、 複線を挟んでホームが分かれているものがある。 ホームが分かれてる形式だと、複線の間(あいだ)には、 高速道路でいうところの中央分離帯みたいなところが、地下ホームを支える柱、 アーチ状のくり抜き壁になっていると思う。それをイメージしてくれ。
この中央分離帯みたいなところに、動かない列車喫茶店車輌がある。 駅のホームは分離型。東口と西口。
通過列車を見る位置は、列車喫茶店内から、上り線を見たり・下り線を見たり。 上り線ホームから見たり、下り線ホームから見たり。 気分は見渡しがいいように、地下鉄でなく田舎の比較的大きな駅。
さて、数学者は問題を設定してから問題を解く。 窓枠内を光時計が横ズレする。これを等速直線運動として解く。
列車喫茶店車輌の窓枠でもいいし、上り線や下り線ホームに、窓枠置いて、 そこから見えるイメージでもいい。こうやって、実際に窓枠のある位置を特定するのが、 実験物理学者。
ここまでは、窓枠の設置位置を具体的にイメージしても、 数学者と変わらない結果しか、 得られない。
いまホームに鈍行列車が入ってきた。停車した。停止した。 これを上り鈍行列車としたら、通過列車なり、停車の下り車輌の動き観察となる。 まだ古い動かない喫茶店車輌からの見えの話と違わない。
さて、都市近郊の複々線区間の話をしよう。市ヶ谷と飯田橋の間。とか。 外濠(そとぼり)に沿って、鈍行の総武線イエローと快速特急の中央線オレンジが走ってる。
乗ってるとわかるんだけど、同じ方向、 新宿駅や四谷駅から東京駅へ向かう方向として、 そりゃ、全体として中央線の方が速いんだけどさ、
あっ、御茶ノ水駅から四ッ谷駅へ向かう方がいいかな。 御茶ノ水駅で総武線の方がちょい先に出発すると、30秒ぐらい。 だんだん追いつかれるのよ。
あっ、やっぱり四ッ谷駅から御茶ノ水駅方向がいいかな。 先に中央線が御茶ノ水駅に到着しようとすると、 総武線の方が減速に入るタイミングか遅いから、追い抜く感じになるのよ。
複々線の幅が拡がったりするもんで、互いに平行が少し離れ再び近付く。 から、同じ速度で走っていても見かけ上、追い抜いたり、追い抜かれたりする 感じがあるんだ。
数学者と違って観察の為の窓枠の保持者が、線路に対して動いてることもあるんだ。
このとき、上り総武線と上り中央線は互いに停止しているように見えたり、 相手が右に進行して見えたり、左に進行して見えたりする。 ここまでは、従来通り。
拍子抜けはさ、自分が上り(総武線・中央線)に乗ってたとき、 下り(総武線・中央線)はどう見えるかってこと。
そこに積まれた光時計の縦線。床と天井を結ぶ線。 その横ズレ速度。単純化の為、すべての列車は 線路に対して時速10キロメートルとする。
複雑に考えたってしかたない。ガリレオの相対性原理で座標に記す。窓枠の。 線路の横ズレ量に対して、絶えず倍。倍ズレる。
そうそう。もうちょっと正確にやるなら、 すべての列車の速度は光速の30万分の1とする。 これだと秒速1キロメートルで時速3600キロメートルだが、かかまわない。
光速度一定で、加算に限界があるどうのこうのの話じゃない。 それは実際あるのだが、ローレンツやアインシュタインの思考実験で 使われた座標での話ではない。
あまりに稚拙な思考実験を前提に、その話、光速度一定の意味を、 イメージの話をする前に、
ローレンツやアインシュタインがイメージした光時計柱、列車内を 単純に上下する光子の軌跡が斜めに見えるとしたイメージ前提が、 その角度イメージが、己が動いないを前提にしたものだったが、わかるか。 わかったと思う。ちとゆっくり読み直しが必要かもだが。
確かに、列車内にいる自分、特に等速直線運動中なら、自分は止まってる感じ。 だが、思考実験するときに、目を瞑(つぶ)る。字数オーバーなんで続く。
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最終更新日
2010.10.14 22:06:10
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