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双対の幻影11の3 数学は定義から内部無矛盾を追及する。 内部に矛盾が発生した場合、定義の見直しをし、 定義(視野枠)を拡張したりして、内部無矛盾を形成する。
その内部にさらに内部を創り出しどうのこうのは、 俺は数学系でないので述べることはできないが、 数学者が点なり、変換なり、構造に注目すれば、 それを解体し、一分野を形成したり、包摂したりするのだろう。
物理学者はある現象の、注目した現象の背後にあるものを記述しようと、 数学に頼る。それが限界のある適用範囲付きなら問題がないが、 特殊相対性理論のような内部的には無矛盾の場合、 これを絶対にしてしまう。
天動説の周天円補正のように。
定義から始まる数学の場合、土台決定は数学者自身にあるので問題ないが、 物理学の場合、注目した現象を数式で記述する前にスケッチをする。 どういう現象が起きているのかを、モデルを作る前に、断片情報を集める。 ある程度断片情報を集めると、そこからモデルを作り、数学的無矛盾のモデルを 選び出す。
問題はここ。捨象(しゃしょう)行為。 ある方向から、点に近い円の面積を視る。 ところが動かしたら、線に近い長方形の面積を視る。 さあ、これでモデルを作るぞ、っとしてしまって、以後、内部的に問題に気づかないと、 内部的、偶然にも内部的に無矛盾だと、それが正しいと成立してしまう。
戦争器械を創り出す工学者にとって、実戦は外部になる。 数学者にとっても、ゲーデルがいう外部は物理学になる。 だが、物理学者にとっての外部は、最初の観察だけだ。
しかもデータ量が多ければ、見易いというわけでもなく、 これで十分だと思った断片情報が、比較的ものすごく安定した鞍点だった場合、 そこに注目がしばらく集まるのはしかたのないことである。
俺の場合、暇で、物理学にとってのもっと安定した鞍点を見つけてしまった。 なぜそれを見つけられたかというと、 もちろん、これを信用するか、法螺話としても、まあ、思考訓練になるから、 ちょい余興として、つきあってもらえればいいのだが、
二重スリット実験のトリックを解こうとしてなのだが、 そこからまず、鉛筆の両端と中央を観察者は、 鉛筆存在位置のの空間内同時刻現象を、同時に集めたわけじゃないことに気づいた。
これだけで押し切って、従来の物理学の鞍点から、遊び出す、 鞍点っていうのは、山並みを一本線で描く。 高い山や低い山の連続。山と山の間には、そこには谷がある。
この谷が一番低いところに注目すると、ポイントが高いというゲームが、 巡回セールスマン問題。
でも、それを見つけるには、山々を乗り越えてどの谷が深いか調査しなくちゃならん。 描かれた一本線の山並みを、正面から見れば、視野範囲の巻物内で、 すぐに見比べれば、わかるけど、
普通は絵の中の人として調査しなきゃなんだ。 高い山を乗り越えられんものは、調査範囲が狭くなる。
俺の場合はチートで、正面からこの山並みの絵が見えちまったわけだが。 いまの鞍点(谷底)から出るには、大量情報が必要になる。
山を越えるには装備品が大量に必要になる。 哲学系の勘のいい人なら、鉛筆の例え、オリオン座の三連星で十分なのだが、 装備品が多くなれば、それを背負(しょ)えるだけの体力のある人も少なくなる。
で、軽い装備品があるのだが、これが幼稚というものなんだ。
幼稚ゆえに、そんなことが物理学になんの関係がある。 という恐れを、俺の方が一方的に提示するのに持っている。 見向きもされない恐れ。
あと、まだちょっと洗練されていないので、必要以上の装備品も混ざったりしている。 俺の掴みが、ここんとこ粗雑でね。減らしすぎて必要なものを忘れるのも恐れてる。
で、具代的には、
数直線上を左から右に列車が走っている。 こう数学者が定義したとき、
よりよい鞍点を見つける物理学者は自分自身をもっと観察する。 自分が逆立ちしたら、その場で、右から左に列車が走っているんではないか。 山手線なら、山手線のような環状線なら、その内側から線路を見るときと外側から見るとき。
ようは、線路の向こう側から、この俺と線路を見ている対面(といめん)の観察者には、 どう見えているのかとか。
量子力学ではどうか知らんが、素粒子力学では、鏡像は当然使っている。 実のところ、電磁気学の現象記述にも、最初っからこれらを総動員しないと、 できすぎた鞍点、特殊相対性理論にひっかかる。
観察者がつかう観測器と線路との位置関係だけでなく、 上下・左右・前後の奥行きも関係してくる。さらに時間の前後。
なのに、ローレンツもアインシュタインも、正面。 数学者がするのと同じ事をしてしまった。 あまりに簡易な思考実験からスタートしてしまった為に。
多少、幼稚さは、俺用に回避できたかな。 俺が回避できたと思い込めれば、筆が進む。
光学異性体があるから量子力学でもやってるんだろうが、よう知らん。
ま、こんなとこで、日常の空間意識を使って、 これから数直線の3層について、感じとってもらおう。
面積のある線とみえたものが、 普通に表現すれば、 点だと思ったものが、線。線だと思ったものが面。 ここまでが俺の担当。(この譬えは、東晃史パクリ。)
それ以上は、マジ頭の良い奴が拡張する。
で、この面に、3層の数直線が見える。 注目の仕方によって、これ自身が互いを喰いあってるウロボロスのようなものや、 入れ子にもなってるようだが、これの一番簡単なの。 3つをほとんど分離した状態のだけを使う。
なにを言ってるか俺にもよくわかっていないが、 構造そのものが比較的静的に固いものを使う。 本来の構造主義どうのこうのは、もっと捕らえどころのないものだろうが、 よう知らん。いちようこれは、哲学系への予防線。 ま、哲学系で小うるさいこというのなんかはどうでもいいんだが、 少しでも、俺を護ってるということにしとかないとな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010.11.09 03:34:15
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