47425456 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

プロフィール

すずひ hd-09

すずひ hd-09

キーワードサーチ

▼キーワード検索

サイド自由欄

*** ありがとう! ***

*** みなさまの おかげで「5刷」です ***



*  日本で、中国で、1冊の本に なりました *



にほんブログ村 ライフスタイルブログへ
にほんブログ村


にほんブログ村 ライフスタイルブログ 暮らしを楽しむへ
にほんブログ村


にほんブログ村 ライフスタイルブログ 50代 自分らしさへ
にほんブログ村















































































































楽天カード

カテゴリ

カレンダー

2019.01.15
XML
カテゴリ:ミニマルに暮らす
「どうでもいい」と 荒れるのって、 心でも、部屋でも、暮らしの全てが そうですね。


片付かないことや、掃除が続かないことの原因って 
ものが多いことが、数が多すぎることが大きな要因の一つ、なことは間違いないのだけれど、


本当のところは 多分 それらのもちものが「どうでもいい」のです。
それを「好き」だと思う気持ちが希薄ってこと。  これは 誤魔化せない 事実。 




これだ!と。このシーンを本の「表紙にしよう!」と 撮影の日、一瞬 盛り上がりました(笑)










面倒くさい、とかの それ以前に。 きっと 多分「どうでもいい」のだと思います。
トイレが少々汚かろうが、そこそこキレイだろうが、そんなこと 正直どうでもいい。
服がありすぎて 何着たらいいかわからないけれど、それも別に どうでもいい。
せっかく買ったインテリア雑貨がホコリをかぶっているけれど、それもまあ、どうでもいい。

そのうちどうにかできたらいいけれど、誰か他人さまから咎められる訳でもない。
別に、だから、もうしばらく、このままで。 いいえ ずっと、このままでも いいや。
誰かが訪ねてくるときだけ掃除して、ある程度 格好つけられたなら、それで、いいや。

そういう時期が わたしには あったから。 悲しいほど、身に覚えがあるから。


面倒くさいのだから、なおさらどうにかしなければ!という気持ちは確かにあるのだけれど、
ものが多すぎて、服が多すぎて、雑念が多すぎて、 ずっと ずっと、できなかった。


わたしは、できなかった。 大切なことを、いつも後回しにばかりしていた。
いらないものを 押し入れいっぱいに隠して、納戸にぎっしり詰め込んで、
「できているフリ」をしているだけの、とても嘘っぽい、「虚無な人生」でした。

自分のことも。 周りの人のことも。 平気で欺いているような・・・ そんな 人生。










わたしは いま、とても がらーん と暮らしていますが、
がらーん を選択することなく、ものをたくさん持ったり買ったりし続けている人の中にも、
常に美しく整った暮らしておられる方は たくさんいらっしゃって。


がらーん派は、無駄なものを減らす方の快適さを選んだ民、な訳で、
わたし自身も、間違いなくそれでキレイに暮らせるようになった訳で、
そうなりますと「少ないことこそ善!」の説を どうしても どうしても推したくなるのですが。

そうしますと。

ものすごくものが多いのに、キレイに暮らせている人のことは じゃあ一体どう説明するんだ! という話にもなります。



ものの多い、少ない に 関係なく。

服でも、ものでも、バッグでも、マイホームでも、車でも、靴でも なんでも。
それを「大切」に思っている人って、絶対に キレイにしています。 関心を持っています。


口では「とても大切にしてる」「すべて気に入っている」なんて言っていたとしても、
埃かぶっていて平気なら、キレイを保ちたい意欲が起こらないのなら、それは大方、嘘ですね。
元気に動ける体があるのに、それをやろうと思えないとするのなら。

汚さを放っておける。 汚さに「見慣れてしまう」ことなんて・・・

                    本当に「大切」なら、あり得ない。


多くてもできる人は、いる。 少なければできる人も、同様に、いる。
少ないほうが、それができる可能性が どう考えてみましても、やはり はるかに高いのです。



キレイに使っていたり、キレイに暮らしている人って。

その場所を。そこに住む家族を。その「もの」を。
        そして 自分自身のことを「大切に思っている」のだと 思います。


とても「好き」なのだと思います。









嫌いな人に 親切にできる人は 少ないです。
嫌いな人や 嫌いな自分のために掃除や片付けをするのが嫌になるのは、無理もない。


嫌いなバッグを 美しく手入れしようとは思いにくいだろうし、
嫌いな服や 嫌いな食器を丁寧に大切に扱おうとすることも、意外と難しい。

そこにある「もの」。
そして、それを使う「人」に愛情を持つことができているか否か。(もちろん自分自身を含めて)



調べたわけではないですけれど、
今現在 ものすごくものを溜め込んで散らかってしまっているお家があったとして。

たとえば新婚ホヤホヤの時とか、新築に入居したての時とか、引っ越ししたての時から
いきなり、最初っから のっけからそのように散らかっていたのでしょうか。

だんだんとそうなっちゃった、というケースが おそらく ほとんどなのではないでしょうか。

今よりも うんとキレイだった時期、というのが かつて、きっと あったはずだと思うのです。


その時期が 果たしてどういう時期だったのか、と想像すれば・・・
その家を、部屋を とても好きだった、「大切」に思っていたから、ではないのかな。


暮らしに関する全てのこと。
家族関係も含めて(もしかすると今より)大切に思えていたから、ではないのかな。

どこかの時点から・・・
だんだんと 大切、というよりは すっかり「当たり前」、に なってきちゃったんじゃないかな。


わたし自身が 恥ずかしながら、そうだったのです。
毎日の暮らしも、家族がいてくれることも、そんなのは、当たり前。なかなか感謝ができない。
気になるのは いつも他人からの評価とか、世間体、ばかり。 そんな「外面」ばかり。

だから、どうしてもそんな気がしてしまうんです。  間違っていたら ごめんなさい。
 








もう 一生 そのままでいいや。 と思うか。   
このままでは「自分で自分に恥ずかしい」と気づき、人生の「軌道修正」を 試みるか。


このお話は、「気持ちよく暮らす」ことにおいて、とても。 

とてもとても大切なところなので、次回の「後半」に続きます。 

もう少しお話しさせてください。



「大切なものだけに囲まれて暮らすことは、自分を大切にしている証拠です。」


そんな言葉。 そんなきれいごと。  全く信じられなかった頃の、わたしの お話。


寝言は寝てから言ってくれ。 そんな風に まだまだ斜に構えていた頃の わたしの お話。


気持ちよく暮らしている人が羨ましいのに、そんなの嘘だ!少し黙って!とさえ思っていた頃の


ものにまみれて もがいていた頃の わたしのお話。






                                 次回に つづく








ミニマリストになる前の「混沌」「迷走」「浪費」「無駄な衝突」を、たくさん覚えている。
気持ちよく暮らしている人に嫉妬して。 一体どうすれば わたしもそうなれるんだろう、と。

にほんブログ村 ライフスタイルブログ ミニマリストへ
にほんブログ村

いつもここにいたい、と思える「家」。 いつもここに居て欲しい、と思われる「人」。
一生をかけて、そこを目指してゆこうとしているのが 今のわたしです。 今の、正直な気持ち。

今日も最後までお読みくださってありがとう。 次回もまた、どうぞ ここで会えますように。











お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2019.01.15 11:23:04



© Rakuten Group, Inc.