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2006.10.10
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還暦もへったくれもあったものではない、ぼくはこの齢になってようやく余裕ができ、まあそれは経済的なものでもあり時間的なものでもあるのだが、というよりはむしろ、仕事上での自分の将来にようやく諦めがつき、もともとたいした野心を抱いたわけではないのだが、組織の中にいるとどうしても上昇志向を与えられ政治に小突き回されるのが人間のそして動物の遺伝子的な素養なので、そこから半分足を踏み出してしまうと(以前にお話したクーデターを起こして半分退職したわけで)、不思議とそういう柵から解放されてそれが心の余裕に繋がり、初めて世界のさまざまな思想的な試みや過去の出来事の積み上げとしての現在というものに幾分は深く触れる機会を得ることになったわけさ。

たまたま人生の後半を異国、それも一部には「悪の権化」とも目されるアメリカ合衆国のカリフォルニア自治区で過ごしたため、西欧文明と日本文化の齟齬を肌身で感じ、とは言っても、もともと日本の文化をよく知っていたわけでは全くないので、戦後民主主義の漂白剤をかけられたような脱日本という雰囲気の中で、ただ凡庸に過ごしていた夢想的青年だったのだから、アメリカに来たからといって西欧文明との摩擦に深く傷つくほどではなかったのだが、まあそれでもキリスト教というものがかくも深く西欧の中に碇をおろしていたとは全く知らなかったことをしっかりと認識しただけでも、僕の脱サラ・渡米は意義があったと、自己満足をしているのだ。

例えば、僕たちは詰め込み受験勉強の一環で「ロマン主義」というものを習ったのだが、これは山川出版の「詳説 日本史」に拠れば「北村透谷らの文学界を中心として、人間の感情面を重んじるロマン主義文学がさかんになった」とだけあり、西欧のロマン主義がそもそも啓蒙主義のアンチ・テーゼとして生まれたというような一面には触れてなく、同じ山川の「詳説 世界史」にしたところで、「しかしフランス革命とそれにつづく政治・社会の大きな変動が、自由への願望と民族の自覚をよびさますと、19世紀前半にはドイツを中心に、個人の感情や想像力を重んじ民族文化の伝統を尊ぶロマン主義がさかんになった」と、まるで歴史の文脈を把握できそうもない無味乾燥な叙述でまとめるだけで、膨大な量の知識を押し込めるためにはこういった方法しかないのかもしれないが、馬鹿を言っちゃいけないよ、これでは僕が青年時代にロマン主義について何も理解していなかったのも、仕方のないことなのだと納得する次第だ。

いやもちろん、アメリカにしたところで人々の歴史の軽視は変わらないわけで、ロマンチックと言えば、キャンドルを灯しバラの花を飾りVictoria's Secretの下着を身につけ恋人同士の(夫婦であれば恋人時代の)言葉を囁く、そうした雰囲気を漠然と指す言葉に過ぎないという、どうもこうも商品主義に骨まで浸かった態度なのだ。ロマンチックのもともとの意味が中世の騎士道物語などの現実離れした情熱的な経験のことだったことを思えば、現在のアメリカでの使用法が必ずしも的外れとも断言できず、それにしても18世紀の終わり頃からドイツのシュレーゲル達が始めたロマン主義の意味とその後の歴史への影響の大きさを考えると、まるで日本が太平洋戦争でアメリカに負けたことを全く知らない日本の若者たちのように、中身がすっぽり抜け落ちてしまった幽霊のような現実が不毛の砂漠を歩いているように感じるのもまんざら見当はずれの比喩ではないのかも知れない。

イアン・ブルマという、一部には眉唾者と考えられているかも知れない、ジャーナリスト=学者がいて、「反西洋思想」(イアン・ブルマ、アヴィシャイ・マルガリート 新潮新書)という本が最近出た。ブルマは、1975年に日本大学芸術学部の大学院に入り、唐十郎の状況劇場にも参加し、東京で7年間ほど過ごした。「真夜中のカウボーイ」を作ったジョン・シュレシンジャーはブルマの伯父に当たるそうだ。

ブルマとマルガリートのアイディアは、いささか過度の単純化という気もするが、歴史上のさまざまの反主知主義、反合理思想を「オクシデンタリズム」という共通項にまとめることにあるのだが、このオクシデンタリストが敵意の対象とするのは、「尊大、貪欲、軽薄で退廃的な根無しのコスモポリタニズムに彩られた『都市』であり、科学と理性に裏付けられた『西洋的考え』であり、自らを犠牲にする英雄とは正反対に、自己保身に走る『ブルジョア階級』であり、純粋な信仰世界のために倒されなければならない『不信心者たち』だ」、という抜粋からもわかるように、ナチズム、毛沢東の文化大革命、スターリンの粛清、クメール・ルージュの大殺戮、ドイツのロマン主義、ロシアの愛国主義、軍人勅諭を血肉化して特攻を正当化していった日本の軍国主義、そしてもちろんイスラム過激派のテロリズム、などなどの全てがオクシデンタリズムという合理主義を敵視する考え方の一派と見做される。

「オクシデンタリズム」という用語は、西欧の「オリエンタリズム」を念頭に置いているわけで、もとは西欧(オクシデント)の東洋(オリエント)に対する憧れであったのが、蔑視へと変質していったオリエンタリズム、それが鏡に映った像のようなものだ。オリエンタリズムにしろオクシデンタリズムにしろ、その核にあるのは、同じ人間でありながら相手を人間としてみない、物として扱う眼差し・態度だと言える。

ブルマとマルガリートが牽くアイザヤ・バーリンの見方をまとめてロマン主義的な素養というか要因というか傾向というか、を列挙してみると、直線的な進歩に対して奈落の底からの救済、断片化や疎外を克服して調和と統一を達成する切望、断片化はブルジョワのもたらした競争社会に起因すると見做し失われた過去の共同性の調和を取り戻そうとする、機械的に対して有機的なものを善しとする、個人主義に対して他者や神との一体化を目指す、という感じになるのだが、歴史のあちこちで出現し異議を唱えてきた、世界に対するこういった態度は、僕たちに具わっている心理的な自己防衛のようなものとも考えられる。周辺に押しやられた人々、落ちこぼれる者、組織の規範についていけない人、体制の一体化に染まることのできないある意味ナルシシスティックな自己、などが自己の尊厳を取り戻す為に起こす防衛の闘い、という見方はどうであろうか。ロマン主義が、当時は後進地域であったドイツやロシアで盛んになったこと、現在の反西欧のテロリズムが、経済発展から取り残されそうなイスラム地域に発すること、これらを心理的自己防衛のオクシデンタリズムと見做すのは結構あたっているかも知れない。

まとまりのない今日の駄文に要約をつけるとしたら、一つ、執着を棄てることで心の平安を得よ、二つ、イスラム教の本質に反近代的な要因があるという見方は誤りで、周辺に追いやられてしまった歴史が反西欧という理念を生み出している、という読んでも読み捕れない程の飛躍した結論になってしまった。





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最終更新日  2006.10.11 14:50:57
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