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リュウちゃんの懐メロ人生 [全239件]
いい湯だな~ 温泉卵、「うまっ!!」
「テルマエ・ロマエ」予告編
先日、話題の映画「テルマエ・ロマエ」を観てきました。 この映画の話を初めて耳にしたのは、リュウちゃんのブログ友さんの一人、「ももみに3835」さんのブログ「わたしの本棚、本のむし。」でした。
彼女は2月24日付けのブログで以下のように漫画の「テルマエ・ロマエ」を紹介しています(一部抜粋)
最近読んで、すんごく好きになったのね 古代ローマ人の設計技師(風呂限定) ルシウスが、浴槽から現代の日本の銭湯へ タイム・リープして、日本の風呂文化に、 銭湯に、 脱衣籠に、ケロリンの洗面器に 映画告知ポスター(寅さん)に フルーツ・牛乳に驚愕する様が おもしろいっっっ!!! しかも行ったきりではなく、往復できるのが凄い! 古代ローマ(風呂限定)→現代日本(風呂限定) これをエンドレス・リピート。
こんな楽しぃ「テルマエ・ロマエ」が映画化される! ルシウス役に阿部寛!! ピッタリだ!ナイス☆キャスティング ローマ人にしか見えないっ! 是非観たい。
リュウちゃん、このブログを読んで、「この映画は絶対に観るぞ!」と心に誓いました。
先日、やっと「テルマエ・ロマエ」を観ることが出来ました。 う~ん、面白かった!!! 「テルマエ」とは、お風呂のこと、「ロマエ」とは「ローマの」の意、「テルマエ・ロマエ」とは、「ローマのお風呂」ということになります。
この映画は西暦130年代のローマの浴場設計技師・ルシウス(阿部寛)が、ふとしたきっかけで現代の日本の浴場にタイムスリップし、古代ローマと現代日本のカルチャーギャップに目を白黒させるというシチュエーション・コメディです。
最初にルシウスがタイムスリップするのが、東京の下町の銭湯、壁にはお馴染みの富士山の絵、プラスティックの「ケロリン湯桶」にびっくり、売店の「フルーツ牛乳」を飲んで、
うま(美味い)!!!、
ここでリュウちゃん、一挙にこの映画にハマってしまいました。 (リュウちゃんもフルーツ牛乳が大好きなのです)
ルシウスは銭湯に入っている日本人を見て、「ここの人間は皆、「平たい顔」をしている、ここはローマの属州で、彼らは「平たい顔族だな」と考えます。因みに、この映画でローマ人を演じているのは、阿部寛を始め、市村正親、宍戸開、北村一輝など、皆日本人離れした「濃い顔」の持ち主、対して日本人の爺ちゃんを演じるのは、笹野高史、神戸浩、いか八郎、蛭子能収などの「平たい顔」の俳優、
昔風に云えば、 ローマ人=濃い顔=ソース顔、日本人=平たい顔=しょうゆ顔 ということになりますかね。この「濃い顔」と『平たい顔』の対比が面白く、この映画のモティーフの一つになっています。
原作のコミックには出てこないキャラとして、上戸彩ちゃんが扮する山越真実という漫画家志望の女の子が出てきます。彼女は、古代ローマと現代の日本を繋ぐ橋渡し役、「狂言回し」といった存在、キャピキャピと弾むような現代ギャル、
彼女の参加で、この映画はぐっと面白くなったと思います。
古代ローマのシーンは、ローマ郊外にある有名なチネチッタ・スタジオの巨大オープンセットで撮影されました。 チネチッタと云えば、アラカンリュウちゃんにとりましては、「ベンハー」が撮影されたスタジオとして懐かしい名前です。
この映画、至るところで「ベンハー」の影があります。
(1) 冒頭のタイトルバックに流れる音楽が似ている、タイトルの文字、映像も明らかに「ベンハー」から借用している。 この映画の監督は「のだめカンタービレ」と同じ武内英樹、「のだめ」にはクラシック音楽がいっぱい出てきましたが、今回も有名なオペラ・アリアが全編に散りばめられています。
「誰も寝てはならぬ」「トゥーランドット」より、この映画のテーマ曲。
「女心の歌」(リゴレット)
「ある晴れた日に」(蝶々夫人)
「星は光ぬ」(トスカ)
この映画のエンドクレジットで流された曲です。壮大な曲で、ラストを締め括るにふさわしい曲でしたね。 「祖国に栄光あれ」(アイーダ)
でも、リュウちゃんがこの映画にふさわしいと思う曲は、 「いい湯だな」なのです。
2012年5月6日は全原発停止記念日
2012年5月6日未明、北海道電力泊原発3号機が定期点検のため、運転をストップしました。これで、現在日本で営業運転されている原発50基の全てが停止したことになります。 リュウちゃんはこれまでブログで数十回に渡って述べてきたように、「全原発即時廃炉論者」です。しかし、54基もの原発が稼動していた福島原発大事故の直前には、何ら声を上げることが出来ない日和見人間でした。
福島で大事故が発生して1年2ヶ月が経過した今、改めて「全原発即時廃炉」にしなければならないと思う理由を以下に書いてみたいと思います。
(全原発を廃炉にしなければいけないと思うリュウちゃんの理由)
(1) 2011年3月11日の東日本巨大地震と大津波で、福島第1原発は壊滅し、周囲に80京ベクレルもの膨大な放射能を撒き散らした。この放射能は、これから東日本の膨大な地域で、人や食品に計り知れない惨禍をもたらし、今後数十年に渡って惨禍をもたらす筈である。 一度大事故が起きれば、壊滅的な惨禍を起こすことが確実な原発を何故、このまま存続させ、あまつさえ再稼働させようとするのか、 正に狂気の沙汰である。 (2) 福島原発の大事故は、まだ始まったばかりで、完全収束のメドは立たない、4基の廃炉が決定したが、廃炉への道則は途方も無く遠い、福島の4基の廃炉については、100年くらい掛かると云われている。 因みに、1966年に日本で初めて営業運転を開始した「東海第1原発」は、27年の営業運転を終えて、1998年に廃炉が決定し、日本で初めて「廃炉プロジェクト」が動き始めたが、その行程表によれば、完全に廃炉に至るのは、2020年になるようである。しかも、2020年になっても。高レベル放射性廃棄物の恒久処理のメドは全く立っていない。 つまり、最初から最終処理のメドが立たないまま、見切り発車で拙速な建設をしたと云わざるを得ない。
(3) 原発の作業に従事する人達は、常に被爆の危機に晒される。これまで日本の原発作業に従事した人は延数百万人以上とされていて、その内、約50万人以上が被爆していると云われている。原発労働者の写真を撮り続けた樋口健二氏の対談は以下) また、以下のサイトには、樋口氏によって余すところなく原発労働者の実態が語られています。 http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65698158.html
原発は、数百万人の原発労働者の「血の犠牲」の上で成り立っている、また「血の犠牲」がなくては成り立たない「吸血産業」である! (4) 原発は「トイレのないマンション」と云われる。これは、原発運転中に発生した放射性廃棄物を最終処理する手段が無いからだ。 2010年の時点で、日本には累積28000トンもの使用済み核燃料棒があるという。かっては日本、アメリカ、イギリスなど13ヶ国で高放射性廃棄物の海洋投棄が行われ、その推定投棄量は、約10京ベクレル! まるで、自分のマンションで処理出来ない糞尿を近くの公園にバラ巻くような暴挙ではないか! (5) 以上のように、通常に運転されていても、周囲に一定量の放射能を撒き散らし、原発労働者に「血の犠牲」を強い、廃炉にも出来ず、廃棄物の処理も出来ない不完全で危険極まりない原発は、本当は即座に運転を停止し、例え完全な廃炉に出来なくても、世界の英知を絞って全原発の廃炉に向うのが、「21世紀の人間に課せられた最大の命題」だとリュウちゃんは思っています。
原発の寿命って、どれ位なのだろう?
以前のブログで、平井憲夫氏の「原発がどんなものか知ってほしい」(1996年頃)を紹介しました。http://www.iam-t.jp/HIRAI/この告発文の中に、以下のような文があります(第16節より抜粋)厚い鉄でできた原子炉も大量の放射能をあびるとボロボロになるんです。だから、最初、耐用年数は十年だと言っていて、十年で廃炉、解体する予定でいました。しかし、一九八一年に十年たった東京電力の福島原発の一号機で、当初考えていたような廃炉・解体が全然出来ないことが分かりました。このことは国会でも原子炉は核反応に耐えられないと、問題になりました。以上の文によれば、原発運転開始の直後には、原発の寿命は10年位だと考えられていたようですが、運転後10年を経て廃炉にしようとしたところ、現実的に廃炉は不可能と判明した結果、現在までするずると廃炉を先延ばししてきたという経緯がよく判りますね。平井氏の告発文はリュウちゃんのような反・原発の立場の人間のバイブルなのですが、公平を期するために、「原子力村の一員」である「原子力安全基盤機構(JNES)の見解を以下に貼り付けます。http://www.jnes.go.jp/tokushu/keinen/grandmother/01.html以上のサイトでは、原発の寿命問題は「老朽化」の問題でじゃなく「高経年化対策」の問題であるとしています。この前提、素人でもすぐ判るインチキなものですが、それでも、30年を経過した原発は、「高経年化対策」の対象であるとしています。しかし、原発の心臓ともいえる原子炉圧力容器は、取替えが出来ません。圧力容器は数千℃の高熱、100気圧に近い高圧に耐えるように、30センチの厚さの鋼鉄で出来ているそうです。以下の小出裕章氏のサイトをお読み頂きたいと思います。http://blogs.yahoo.co.jp/permer4_4/27246443.htmlこのサイトによれば、圧力容器の鋼鉄は、内部の猛烈な中性子を浴びて、どんどん経年劣化し、最後にはガラスのように脆くなってしまう。現在では、特に九電の玄海1号機が危ない!と告発しています。アメリカでは、原発運転の認可期間を最大40年とし、その後最長20年までの延長が認められていて、日本政府もこれを援用しようとしていますが、上記のことを知ったあとでは、空恐ろしいような甘い基準ですね。今回の最後に、日本の原発で運転開始後、30年以上経過している原発を全て挙げてみます。★福島第1原発5号機(34年)、★福島第1原発6号機(33年)、★福島第2原発1号機(30年)、★東海第2原発1号機(34年)、★浜岡原発1号機(36年)、★浜岡原発2号機(34年)、★敦賀原発1号機(42年!)、★大飯原発1号機(33年)、★大飯原発2号機(33年)、★高浜原発1号機(38年)、★高浜原発2号機(37年)、★島根原発1号機(38年)、★伊方原発1号機(35年)、★伊方原発2号機(31年)、★玄海原発1号機(37年)、★玄海原発2号機(31年)今後10年以内に廃炉にしなければいけない原発が16基もある。費用は少なく見積もって30兆円!政府が20年延長をしないように、監視していく必要がありますね!
(これから暫く、原発問題を書いていく予定です)
五月晴れ春日の空に藤踊る
5月5日の朝日新聞の朝刊・奈良版に、「春日大社の砂ずりの藤が満開」との記事が写真付きで掲載されました。
4月29日にリュウちゃんの家には、群馬県から孫の「あかりちゃん(5歳)」、「みらいちゃん(2歳)」が来襲、二人の孫ちゃん相手にシッチャカメッチャカのGWを過ごしましたが、5月5日は、孫ちゃん一行が群馬に帰郷する日、リュウちゃん、新大阪駅まで孫ちゃん達を送っていき、午前9時半発の「のぞみ」に無事孫ちゃん達を乗せました。これで暫くは孫ちゃん達とお別れです。
今日は又とない五月晴れ、 よし!これから春日大社に満開の藤の花を観に行こう!
春日大社の砂ずりの藤が満開と聞いて、一つ気掛かりだったことを確認してみようと思いました。それは、前回の「盆藤展」で書きました牧野富太郎博士が命名した「野田藤」のオリジナルの木が、野田春日神社にあるのではないか?、ということです。
確か、大阪環状線の「野田駅」の近くに「野田春日神社がある筈だ、 「野田駅」は新大阪駅から近い、よし、春日大社に行く前に、野田春日神社を訪ねてみよう。
午前10時頃、野田駅下車、野田駅界隈は典型的な大阪の下町、周りに神社らしきものは見当たらない。地元の人に何人か聞きましたが、要領を得ない、仕方なく近くの交番で聞き、やっと春日神社に着いてビックリ!
この神社、敷地面積10坪程度、 リュウちゃんの家の建坪の半分位だ!
しかし、最近、関西のテレビで紹介されたこともあって、10人位の客が集まっていました。神社の前で「野田藤」について説明していた広岡忠雄氏(「のだふじの会」のメンバーの一人)に話をお伺いしましたところ、
(1) 今年の神社周辺の「野田藤」は4月末に終了した。 (2) 豊臣秀吉も愛したという「野田藤の原木」は、昭和20年の大阪大空襲で全滅した。 (3) 今、神社の境内に植えられている藤は、宇和島藩主が参勤交代の時に宇和島に持ち運び、宇和島の「天赦園」に植えた藤を平成12年に野田に移植されたものである。
う~ん、そうだったのか。
ということで、秀吉が愛し、牧野富太郎博士が命名したオリジナルの「野田藤」には対面出来ませんでしたが、広岡さんの話は大変参考になりました。広岡さん、有難うございました。
野田駅からJRに乗り、奈良の春日大社前に着いたのが午後2時少し前、春日大社の「砂ずりの藤」を観る前に、大社の手前にある「萬葉植物園」に入りました。
ここには「藤の園」があり、20種200本の藤が満開の花を咲かせています。
それぞれの藤の下には、麝香藤、黒龍藤、口紅藤のような藤の名称が書かれているのですが、リュウちゃんは研究者ではないので、詳しい名称はパスしました。以下のサイトに、19種類の藤が紹介されていますので、興味のある方はご覧になって下さい。 http://k-kabegami.com/fujisyurui/
花の色も様々ありますが、大別して、紫形、白系、ピンク系があるようです。
大抵の藤は、藤の木の周辺に棚を作り、棚の上に藤の蔓を這わせる、いわゆる「棚仕立て」にするのですが、この「藤の園」では、約半数が棚を作らない「立木仕立て」で植えられています。
「立ち木仕立ての藤」は、白や紫の柳とも云える風情がありますね。
約1時ほど植物園の藤を堪能して、お目当ての春日大社の「砂ずりの藤」を観に行きましたが、まだ花の房は短く、ちょっと「盛り」には早かったのかなと思いました。
その名のように、地上にすれるまで、花房が伸びるのかな? それとも、800年の歳月を経て、もう往時のような長い花房は見られないのかな?
春日大社を出て、奈良公園内の藤棚を幾つか見ましたが、まだ花房は小さく、「咲き始め」のように思われました。 「のだふじの会」の広岡氏の話では、藤の花は先端に種を付けた時が「満開」、見頃は満開から一週間くらいだそうです。ということは、奈良公園の藤の見頃は、5月15日くらいまでですね。
皆様、5月上旬に奈良公園にお出掛けの際には、藤の花をお楽しみ下さいね。 ----
5月6日、北海道電力泊原発3号機が停止し、遂に日本の全原発が停止しました。 この事については、次回のブログで書いてみたいと思っています。
藤原氏ゆかりの古都に藤の花香る
奈良公園は既に桜の花が散り、「藤の花」の季節に入りました。
奈良公園には、至るところに藤棚があります。西暦710年の平城遷都に際し、藤原不比等が、藤原氏の氏神である鹿島神を三笠山の麓に遷して「春日大社」を建立しましたが、藤原氏は苗字に因んでか、「藤の花」をとりわけ好んだようで、春日大社の境内には樹齢800年といわれる「砂ずりの藤」が植えられています。
また、春日大社の境内にある神苑(万葉植物園)一角には、「藤の園」が作られていて、20品種200本の藤が植えられています。奈良公園の至るところに点在する藤棚と合わせて、4月後半からゴールデンウィークにかけての奈良は、一面の藤の花で覆われるのです。
しかし、今年は桜と同じように、藤の開花も遅れています。
4月27日、奈良公園の近くの「国際奈良学セミナーハウス」で開催されている「盆藤展」を観にいってきました。 http://www5.ocn.ne.jp/~bontou/panf.html
「盆梅展」はよく聞きますが 「盆藤展」はこれまで聞いた事がないな?
試みに、ネットの検索サイトに「盆藤」と入力し、検索しましたところ、出て来るのは今回の奈良の盆藤展」ばかり、まだ「盆藤」は、奈良以外では殆ど行われていないのかな?
http://www5.ocn.ne.jp/~bontou/
上記のサイトを見ますと。どうやらこの「盆藤展」は平成19年より始まり、今回が6回目のようです。盆藤作家として、生駒泰寛氏が紹介されていますが、どうやらこの「盆藤展」の出品作品の殆どは生駒氏の作品のようです。
生駒泰寛氏は、奈良県桜井市外山(とび)で盆栽園「大香園」を経営していまして、「大阪天満宮大盆梅展」も氏が中心に開催されているようです。
会場には、50点近くの「盆藤」が展示されています。
すべての盆藤に樹齢と品種が明記されていますが、樹齢は30年~50年くらい、品種は殆どが「ノダフジ(野田藤)」です。
「ノダフジ」は、「ヤマフジ」と並ぶ日本固有の藤の二大品種の一つです。 「ノダフジ」と学名が定着したのは、明治時代のようです。 この名の由来は、明治年間に高名な植物学者、牧野富太郎博士が大阪・野田村(現在の大阪市福島区野田)付近に植えられていた藤を研究し、それが大変優秀な品種であることを突き止め、「野田藤」と命名したのだそうです。
リュウちゃん、初めて「盆藤展」を観たのですが、その感想は以下のようなものでした。
(1)「盆梅展」と違って、藤の木の樹齢は、50年と短いが、幹や根元をみると、あたかも樹齢200年くらいの古木とように思われた。 (2)花の色は、「薄い紫」の他には、「白藤」も多い、稀にピンクがかった「白藤もあるようだ。 (3)会場には、藤の花の甘い香りが立ち込めていた。普段、野外で遠目で見る藤の花は、こんなに強い芳香は感じなかったが、屋根のある限られた空間では、こんなにも強い香りに包まれることに改めて驚かされた。 (4)下の写真のように、屏風を背にした盆藤は、あたかも狩野派の屏風絵のような豪快な趣きがある。
まさに立体的な屏風絵だ!
会場の「国際奈良学セミナーハウス」は、中世、興福寺のせ尊院があったところを改装したもので、ここに併設されている宿泊棟は、一般の人も宿泊可能です。門を入ってすぐ左手には、喫茶店が常設されていて、屋外で喫茶楽しめます。
約1時間ほど盆藤を鑑賞して、国立博物館近くの藤棚の下で休憩しましたが、ここの藤棚はようやく「蕾膨らむ」でした。 下の写真は、奈良県庁の裏の八重桜、八重桜はゴールデンウィークまで見頃が続いているようです。
この「盆藤展」は5月3日まで開催されています。出品者の生駒さんも連日会場にいて、来場者に気軽に説明してくれますので、来場の際には生駒さんに声を掛けてみて下さいね。盆藤の裏話がたっぷり聞ける筈です。
春日大社の「砂ずりの藤」や奈良公園の藤は、ゴールデンウィーク後半から見ごろになるようです。
皆様、 5月上旬の天気の良い日には、奈良公園に出掛け、 満開の藤の花を堪能して下さいね。 ーーー
安達明「女学生」
春ごとの花に心をなぐさめて 六十(むそぢ)あまりの年を経にける(西行法師)
「梅は月ヶ瀬、桜は吉野」が信条のリュウちゃん、 今年も17日に吉野を歩いてきました。
昨年は2回に渡って吉野に行ったのですが、今年は昨年の2回分を一回で歩いて見ようという野心的な(笑)計画を立てました。具体的には、
近鉄吉野駅~蔵王堂~竹林院~水分神社
という行程です。因みに、近鉄吉野駅は「下千本」が始まるところ、蔵王堂は中千本の入り口、竹林院は上千本の入り口、水分神社は、上千本が終わり、奥千本が始まるところ、それぞれ、吉野の下・中・上の分岐点に当たる場所にある代表的な神社仏閣なのです。
午前8時20分法隆寺出発、近鉄筒井~橿原神宮前駅を経由し、吉野に着いたのが10時30分、橿原神宮前駅からの近鉄吉野線は平日だというのに、ほぼ満員、ここから吉野まで、約1時間立ちっぱなしです。
吉野駅を降りて、駅のトイレに行きましたが、行列が出来ている、男性用はたいしたことはありませんが、女性用は20m位の行列、野外を散策する時は、トイレ対策だけはしっかり立てておきたいですね。
10時40分、目的地の水分け神社に向けて、出発、吉野駅から、蔵王堂の近くまでロープウェイがあるのですが、全行程をウォーキングで行くと決めていたリュウちゃん、当然、ロープウェイは使いません。 それにしても、このロープウェイ、中途半端だな、 どうせロープウェイを作るのなら、水分神社まで一気に上れるようなものを作って欲しいものだ。
吉野駅から歩いて20分くらいで、吉野のシンボルとも云える「蔵王堂」に着きました。下の写真は蔵王堂の正面ですが、この境内には、桜の木は3本くらいしかありません。
以下の写真は、蔵王堂の左下のある「吉野南朝皇居跡」です。ここも吉野屈指の「桜の見所」です。
蔵王堂を跡にして、30分程坂を登った所に、本日の一番の目的の場所、「竹林院」があります。この寺はの開祖は聖徳太子と云われています。「竹林院」の庭園「群芳園」は、豊臣秀吉が吉野の花見に際し、千利休が作庭したとされる池泉回遊式の借景庭園です。
今日の吉野散策の一番の目的は、「群芳園」の白い「しだれ桜」、 今、満開なのかな?
下の写真が、その「しだれ桜」です。
残念ながら、相当散ってしまっていました。やはり「しだれ桜」は周囲の桜よりも10日くらい花のサイクルが早いようです。来年は、中千本が「咲き始め」の頃に「「群芳園」を訪れて見たいと思いました。
「竹林院」から少し坂を登ったところで昼食休憩、例によりまして、女房お手製の「おにぎり弁当」と、リュウちゃんお手製(?)の缶ビール2本、
快晴の空 、桜の花びらがおにぎりに舞い落ちる、冷えたビールが心地良い。
昼食を終えて、また段々と急になる坂を登り、やっと本日の最終目的地である水分神社に着いたのが午後2時少し前、近鉄吉野駅から途中、昼食を挟んで、ここまで3時間程掛かりました。
下の写真はお目当ての水分神社のしだれ桜です。木が大きくて、しだれの位置が高いので、こんな写真になってしまいましたが、ここの「しだれ桜」は満開でした。
願はくは花のもとにて春死なむ その如月(きさらぎ)の望月の頃(西行法師)
水分神社から更に2キロくらい坂を登った「奥千本」の一番奥に、源平時代の戦乱の世に生きた僧侶で歌人の西行法師の編んだ「西行庵」があります。
西行は、「平清盛」より一歳年上(1117年生まれ)、17歳で、京都御所の北側を護衛する「北面の武士」に選ばれるも、23歳で出家、以後、全国各地をさすらう「漂泊の歌人」として生涯を送りました。59歳の時、リュウちゃんの故郷・伊勢二見が浦にも居住していました。
吉野の「西行庵」に住んだのは出家直後の若い頃だったようですが、吉野でも人里離れた山の奥に独り小さな庵を編んでの生活はどんなものだったのでしょうか? リュウちゃんも冒頭の西行の和歌のように60歳の半ばを過ぎて、西行の和歌が身に沁みる年齢になりました。来年には、奥千本の奥にある「西行庵」まで足を運んでみたいと思います。
午後2時に水分神社を出発、往路は約3時間を要した道則も、復路は寄り道なしの下り坂、約1時間で近鉄吉野駅に辿り着きました。
17日の「吉野行き」で、リュウちゃんの今年の桜紀行」も終りました。 今年はまだいっぱい「桜紀行」をしましたので、 もう1回位、ブログをUPしたいと思っています。
八重桜、百花繚乱 大阪造幣局、「桜の通り抜け」始まる。
4月17日、春の大阪名物、造幣局の「桜の通り抜け」が始まりました。 30年近くも奈良に住みながら、これまで一度もこの大イベントに足を運んだことが無かったリュウちゃん、65歳にして初めて「通り抜け」を体験してきました。
開催初日の17日、京阪天満橋駅から,大川を渡ったのが、午前9時50分、既に天満橋の造幣局側には、お客さんの行列が出来ていました。
ひょっとすると、入場まで1時間くらい掛かるのかな? こりゃ、えらい事だぞ!
で、橋の中央の列の最後尾に並びました。下の写真は天満橋の上から撮った大川端です。この川沿いにもずっと桜が植えられていて、遊覧船で川の真ん中から桜見物をするのが大阪人の粋です(リュウちゃんは奈良人なので、遊覧船にはまだ乗ったことがありませんが)
午前10時開門、 当初の危惧とは違って、入場はスムーズに進み、10時10分頃に入場出来ました。 しかし場内は人・人・人の人の波、
下の写真は入り口付近で撮ったもの、桜とぼんぼりの後には、花見客で混雑しています。
「造幣局の桜の通り抜け」が始まったのは、何と1883年(明治16年)なのだそうです。来年で130年になるのですね。
大阪の造幣局は江戸時代には伊勢の国(現在の三重県)津藩の大名、藤堂家の大阪屋敷があり、藤堂家が植えた桜の木を造幣局が引き継いだのだそうです。
現在、この場所には、129種、354本の桜が植えられているそうです。
場内の桜の木には、その名前が表示されていて、特別に興味のある人にとりましては興味は尽きないのですが、何しろ、この混雑、ゆっくり鑑賞している暇はありません。正に「通り抜け」るだけ、勿論、場内でお酒や弁当を持ち込んで宴会をすることは禁止されています。 なので、リュウちゃんも今日はビール抜きで桜の写真を撮りました。
約1時間の「通り抜け」を終えて、出口の「桜ノ宮橋」を渡り、JR京橋駅から帰途に着きました。まだ大川端の桜並木は「散り始め」、充分に宴会が楽しめる程の花を付けていました。
今年の「通り抜け]は、 4月17日(火)~4月23日(月)の一週間です。 午後9時まで開場していますので、夜桜が楽しめますよ。
リュウちゃんの以前からのブログ友さんであります さんが、4月10日に長女さんを出産されました。 桜の季節にお生まれになりましたためか、 「愛桜」 さんと名付けられました。 リュウちゃんも今年の4月は「桜を愛する季節」になりましたので、このブログを「愛桜」ちゃんに謹んで捧げたいと思います。
「愛桜」ちゃん、 造幣局の桜のように健やかで美しく育って下さいね。
果てしなき桜並木の果て求め 彷徨すれど果て見定めず
先週、薬師寺から奈良公園まで7時間半に及ぶ「桜行脚」をしたリュウちゃん、行脚の途中で佐保川に架かる橋を通り過ぎました。
うーん、ここの堤は桜の木がいっぱいあるな!
実は今週に入ってから、佐保川堤の桜並木が奈良でも屈指の桜の名所であることを知りました。様々な情報によりますと、
佐保川の両岸には、約5キロにも渡って、ソメイヨシノの古木の桜並木が続いている。
そうだったのか! これは佐保川の桜見物に出掛けなければならないな。 よし!善は急げだ、12日に行って見よう。
とは云いましても、全長19キロの佐保川のどの辺りに桜並木があるのかは、全く予備知識がありません。例によりまして「百聞は一見に如かず」、先ずは行ってみるのがリュウちゃん流、午前中に奈良に用事があった女房と正午に近鉄奈良駅で待ち合わせ、奈良女子大学の裏手の佐保川を目指しました。お弁当と、勿論ビール2缶持参です。
正午に奈良駅を出発、10分少々で奈良女子大の裏手の佐保川に着きましたが、
上流を見ても下流を見ても、桜の木は1本も無い!
さて、上流に行くか下流に行くか、少し迷いましたが、先日、市役所の隣の佐保川を通過した時、ここの堤にはいっぱい桜の木がありましたので、下流を目指すことにしました。
下の写真は、下流に歩き始めて5分くらいのところにあります「大仏鉄道記念公園」のしだれ桜です。
「大仏鉄道」は明治30年初頭に開通し、明治40年代に廃止された鉄道で、現在の関西線・加茂駅から記念公園のある「大仏駅」まで9年間に渡って営業されていた鉄道です。公園の中に見える車輪は当時の列車の車輪を模したモニュメントです。
「大仏鉄道記念公園」から5分ほど下った岸部に切り株状のベンチが二つあるだけのミニ休憩所がありましたので、ここで昼食にしました。
昼食を終えて、川沿いを歩き出してすぐに佐保川の桜並木が見えてきました。
おお!ここが佐保川の桜並木の始まる地点だ! この桜並木はどこまで続いているのだろう?
佐保川の桜は、幕末の奈良奉行、川路聖謨(としあきら)が中心となって1850年頃に川の両岸に植樹されたようです。現在でも当時植樹された樹齢160年の桜が5本残っていて、これらの桜は川路聖謨の名前を取り「川路桜」と呼ばれています。下の写真はその中の一本です。
休憩した場所から1時間くらい歩きましたが、行けども行けども桜並木は果てがありません。女房殿、この辺りでお疲れの様子、 「もう帰ろうよ」 しかしリュウちゃん、俄かに、この桜並木の果てまで歩いて見たいと思いましたので、社会保険事務所の近くで女房殿と判れ、単独で桜並木の果てるところまで行って見ることにしました。
下の写真は、橋の上から上流を撮ったものです。桜並木の上に見えるのが若草山です。
昼食休憩から2時間程、ひたすら下流を目指して歩きましたが、桜並木は果ても無く続きます・奈良県立図書情報館、奈良市埋蔵文化財調査センターを過ぎ、結局、佐保川と秋篠川が合流する地点まで来てしまいました。でも、桜並木はまだ延々と続いています。
ここは何処なんだ!?
遂にここで桜並木から離れ、高いビルが建っている「街」の方向に右折し、「桜並木の果てろ所」の探求を断念しました。
家に帰ってから地図を調べましたとこと、探求を断念した場所は奈良市九条町、郡山市との境目にあたり、もう少し下流に向うと桜並木が途切れるという場所だったのです。
結局、この日はJR奈良駅を正午に出発、途中30分の昼食休憩を挟み、佐保川を下り、九条町で佐保川と別れ、近鉄九条~近鉄郡山と歩き、JR郡山駅に着いたのが午後4時でした。
佐保川の両岸には、約5キロに渡って10m間隔で桜の木が植えられています。ということは、両岸で約1000本の桜が植えられていることになります。
奈良人リュウちゃん、今日の体験を踏まえて断言します。
奈良市一番の桜の名所は「佐保川堤の桜」だ!
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コブクロ「桜」
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