『蟲(むし)』
見慣れた動植物とは違う、時にヒトに妖しき影響を及ぼすもの。
蟲師(むしし)は、それらを調査し在るべき様を示す。
ヒトと蟲の世を繋ぐ者、蟲師ギンコの旅の物語。
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蟲師 続章 あらすじまとめ
★蟲師1~26話 特別篇は→
蟲師 あらすじまとめ
蟲師 続章 第9話「潮(うしお)わく谷」
雪の山の中、足を痛めて弱っていたギンコは、豊一に助けられる。翌朝、豊一の家で目覚めたギンコ。豊一に礼を言いたいと妻に言うと、山の開墾の手伝いに行ったので明日まで戻らないと言う。豊一の妻が食事を用意してくれた。ふと外を見ると青い稲が見えたような気がした。まさかな、こんな冬の最中に。
夜更けに鍬の音がした。こんな夜更けまで働いているのだろうか。翌日、ギンコの足もだいぶ良くなってきた。明け方に戻って今は裏の畑にいるという豊一のところに行こうと外に出ると、田には稲穂が。見間違いじゃなかったんだ。どういうことだ。まさか凍死しかけて見ている夢ではないだろうな。
豊一に礼を言うと、ゆっくり休んでいくといいと言った。この季節に見事な田はどうやって育てたのかと聞くギンコ。どうってことはない、ひたすら手をかけてきただけだと豊一は言った。並はずれて体が丈夫で昼夜はたらいても苦にならないという豊一から甘い匂いがした。この匂い、光酒がらみか。いや違う、何だったか。お茶を入れたからと呼びに来た妻が背負う赤子を見て気づいた。
豊一の父に、息子さんの母御はと聞くと、ずいぶん昔に先に行ってしまったと答えた。息子さんを産んでおよそ1年後にまともではない亡くなり方をしたのではと言うと、なぜ知っているのだと父親は言った。ギンコは自分の生業は蟲師だと話す。豊一の様子はおそらく蟲の影響を受けている。心当たりはないかとたずねると、何も知らないと答えた。
もしそうなら、息子さんだけでなく嫁御の命も危ないと言うと、蟲師だか何だかしらないが、息子に妙なことを言うと許さんぞ。恩を仇で返すつもりなら出て行ってくれと言った。「この子には、けっして言わないでおくれね」妻(豊一の母親)はそう言っていた。
ギンコは豊一に少しは休んだほうがいいと言う。体はとうに限界を超えているはずだと言うと、心配してくれるのはありがたいが、子供の頃からこんな調子だから大丈夫だと豊一。ろくにゆっくり眠れないんだろうとギンコが言うと、眠っていると体がウズウズして気がつくと畑に出ていると言った。
蟲がそうさせているんだと言うと、違う、俺の意志、俺が望んだことだと豊一は言った。それが母親の命の上に成り立っているとしてもかとギンコ。父親が来て、やめろと言う。余計なことを言うなと言ったはずだと父親。言ったほうが本人のためだとギンコが言うと、それはあんたが決めることじゃない。これ以上この谷のことに首を突っ込まないでくれと言った。
夜、また山へ行く豊一に父親は昼間の話を気にしているかと聞く。豊一は、父さんから母さんを奪ったのは俺。だからこそ働かなければならんのだと言った。ギンコは父親に昼間は出過ぎたまねをしたと謝った。そして、蟲下しの薬を渡す。必要だと思ったら使ってください。自分にもこの谷の豊かさを奪う権利はない。明朝ここを立ちます。たいへん世話になりましたと言った。
その夜、豊一は山で倒れた。雪の中で倒れているのを妻が見つける。家で気がついた豊一はまた出かけようとする。父親が豊一とふたりで話があると言う。そしてこの話をよく肝に銘じてくれと話し始めた。
豊一が生まれた頃、この谷は移住してきた者ばかりで、苦しい生活をしていた。妻の千代の乳が出ず、分けてくれる人もなく途方にくれていたある日、山の中で甘い匂いがし、行ってみると白い池があった。千代が飲んでみるとその白い水は甘く、お腹をすかせて泣く豊一に与えると夢中で吸った。
その翌日、千代は乳が出始めた。だがあの泉はその後いくら探しても見つからなかった。豊一は乳を飲み丸々と育っていったが、千代はそれに反するように体調を崩していった。顔はまるで血の気がなかったが、乳だってたくさん出るし大丈夫よと千代は言った。そんなある日、千代は鎌で指を切るが血ではなく乳が出て来た。
方々の医者を訪ねたが誰も話を信じてくれなかった。そして豊一が乳離れを迎える頃、私の病のことは、この子には言わないでくれと千代は言った。この子には何も知らずずっと笑っていてほしい。その姿をずっと見ていたかったけど......この子はもう大丈夫......よかった。そう言うと千代は目から乳の涙を流して亡くなった。むごいことだったが、母さんは最期までお前の幸福を願っていた。
母の墓前で豊一はギンコに、俺の体は、母さんの血まで吸ってできてたんだなと言う。ギンコは、そうさせたのは「チシオ」という蟲だと話す。産後まもない獣に寄生し自らの栄養のため母親の体液を乳へとかえる。そして宿主は成長すれば周囲の植物の発育を促す匂いを出す。その間、宿主には眠る間も与えず養分を取らせ自らの力を強めていく。宿主が力尽きると体を出て、別の赤子をおびき寄せる。
この田もみな蟲のおかげだったのかと言う豊一にギンコは、実際に築き上げたのはあんただ。蟲下しを飲む気になったら親父さんに言うといいと言った。守らなくてはならないものがある。力を手放す気にはなれない。たとえ母さんを殺したものの力を借りても。母さん、どこまでも不孝な息子でごめんなと豊一は言った。
その様子を父親が見ていた。「千代、あいつももう、うんと立派な人の親だ」
数年後、その谷には厳しい冬が訪れるようになったという。けど今も、その谷には賑やかな声がこだましているという。
☆次回 「冬の底」