カテゴリ:特になし
「なんともまぁ、生臭いと言うか人間臭いと言うか」
2000年間ベストセラーを突っ走り続けている新約聖書の前半分、 マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネの4つの福音書についての本だ。 さて、なんで同じような話が4つも載っているのか? どれか1つだけではダメだったのか? そもそも、 なんでこんなにいくつも書く必要があったのか? 新約聖書をそれなりに読んだことがある人なら こんな風に疑問に思ったことはないだろうか? ざっくり結論から言えば、4人ともにそれぞれ思惑があって その思惑(というか伝えたい内容)を、新約聖書の編者が 無視できなかった(どれかを切り捨てられなかった)からだ。 というわけで、4つの福音書の特長と著者の思惑を挙げてみる。 ●マルコ伝(これが一番古いらしい) ・イエスの言動にかこつけて十二使徒をボロクソに批判している。 ・そのほか、ユダヤ教の指導者も愚民どももボロクソである。 ・イエスを唯一絶対の存在として特別扱いはしていない。 ・ほかにも聖霊を受けた神の子が何人もいることを示唆している。 ・そういった聖霊を受けた者たちのための行動規範のマニュアルでもある。 ・なので、イエスが何を言ったかという記述は少ない。 ●マタイ伝 ・マルコ伝とQ資料と呼ばれる文献をもとに書かれた。 ・でも内容はけっこうマルコ伝に否定的。 ・聖霊を受けなかった者たちのために書かれた。 ・十二使徒への批判はかなり生ぬるくなっている。 ・内容は過剰なまでに理想主義的で、偽善的ですらある。 ・重要なのはイエスだけ。唯一絶対の存在である。 ・ユダヤ教の律法はそれなりに重要だが、イエスの教えの方が上。 ・イエスの語った例えを理解できた者と理解できなかった者を 差別する、新たな律法主義に堕した感がある。 ●ルカ伝 ・マルコ伝とQ資料と呼ばれる文献をもとに書かれた。 ・福音書の次に載ってる「使徒行伝」ともともとは一つの文書だった。 ・様々な立場をみんな重視する両論併記の立場にたっている。 ・他の福音書よりも時間的にも空間的にも広がりがある。 ・イエスだけでなく、聖霊を受けた人物はみんな重要。 ・大衆は(マルコ伝よりは)肯定的に扱われている。 ・でも「哀れみを受ける存在として」しか扱われてないけど。 ・新しいキリスト教世界の確立を目指して書かれている。 ・ただし世界観はローマ帝国の世界観をパクっている。 ●ヨハネ伝 ・ほかの3つ(共観福音書と呼ばれる)とぜんぜん違っている。 ・ほかの3つは「イエスが何をして、その結果何が起こったか?」を書いている。 ・ヨハネ伝はひたすら「イエスとは何者であるか?」だけを書き連ねている。 ・「神=イエス」であって、イエスを受け入れる者は神に祝福され、 イエスを受け入れないものは神に呪われる。 ・神の呪い=神との間のつながりがなくなって断絶すること。 ・旧来のユダヤ教を批判しつつも、その実、ユダヤ人 中心主義的な内容になっている。 ・キリスト教徒の間口を広げつつも、内部での自分たちユダヤ人の 優越を守るための理論武装という魂胆がある。 ※Q資料は現存していないが、おそらく十二使徒の指示で 書かれたものではないかと推測できる。 あと、4つの福音書に共通して見え隠れする思惑としては、 > 復活したイエスがまたどこかに現われてこう語ったなどと、 > 自分たち以外の者に好き勝手なことを言われてはたまらない。 > だから、生前のイエスの言動を確定させておいて、復活後の > イエスには「生前言ったことを守れよ」くらいしか言わせない。 てなところがある。 なんとも、じつに人間臭い話ではありませんか。 まったく、えらいドロドロした裏話だこと。 ★★★ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Jul 22, 2004 10:05:19 PM
|
|