京都 清水寺 野宮神社京都 清水寺 野宮神社清水寺 京都市内が一望できる「清水の舞台」。 京都市東山区清水1丁目 6:00~18:00(8・9月は6:00~18:30) 断崖の上にせり出した本堂(国宝)は、「清水の舞台から飛び降りる」ということわざで有名。 ☆京都旅☆京都旅マップ☆楽天懸賞広場 無料宿泊券を当てて旅に出よう! ご本尊は観音さま。今も昔も貴族・庶民問わず多くの人の信仰を集め、清少納言もお参りして「感動した」と枕草子に書いています。 クギを一本も使わず木材を組み立てた舞台造りの本堂。 長寿、ロマンス、学問のいずれかを選んで祈願する「音羽の滝」。 奈良時代末期、ちょうど奈良から都を移すことが話題になっている頃、征夷大将軍・坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が本堂ほかを寄進したのが始まりです。 隣接して縁結びで有名な地主神社があります。 野宮神社 源氏物語「賢木の巻」の舞台 所在地:京都市右京区嵯峨野々宮町 交通アクセス:京福嵐山駅から徒歩5分 源氏物語「賢木の巻」に嵯峨野の野宮を光源氏がたづねるという一節があり、その野宮がここである。 境内に残る「黒木の鳥居」や「子柴了垣」は、物語の中の遺風を今に伝えている。 野宮は、伊勢神宮に斎宮として奉仕する未婚の皇女が潔斎のために住まいした所である。 周辺には嵯峨野の竹林が有る、真竹といわれ、良質で高級品の竹細工・建築用材に利用される。 大覚寺 所在地:京都市右京区嵯峨大沢町4 交通アクセス:市バス・京都バス大覚寺からすぐ 嵯峨天皇の離宮としてつくられ天皇退位後仙洞嵯峨院となる。 貞観18年(876)大覚寺と命名される。両統迭立時代・南北朝対立期の大覚寺統の精神的支柱の役割を果たしたところである。 大覚寺統の後嵯峨帝・亀山帝も退位後はここに入寺・後宇多帝はここで院政をとり行ったので嵯峨御所ともいわれる。 歴代の法親王なども入寺。格式の高い門跡寺院として今日に至っている。嵯峨流華道発祥の寺で今日の嵯峨御流華道総司所はその要である。 明徳3年(1392)の南北合一の話し合いは同寺の御冠の間で行われたといわれるが兵火で荒廃し、現在の建物は安土桃山時代に復元されたものである。 |