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桜井ジャーナル:マスコミが報道しない事実    ―見えない「帝国」の闇 【非公式情報】    

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2006/09/19
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オウム真理教(現在は「アーレフ」に改称)の教祖、麻原彰晃(本名は松本智津夫)に対する死刑判決が確定した。これで裁判は一段落なのかもしれないが、事件の真相は未解明のままだ。1989年に坂本堤弁護士一家が行方不明になった際、警察の動きを鈍らせた原因がその後の捜査にも影響している可能性がある。

さて、このカルト教団は毒ガスをしばしば使っている。巷間言われているところでは、1994年に滝本太郎弁護士をサリンで襲撃、同じ年に長野県松本市でサリンを噴霧、1995年には東京の地下鉄でもこの神経ガスをまいている。同じ期間にVXガスも使用した。

実は、1980年代に入った頃から「毒ガス」が暗殺用の道具として流行していたとする話がある。ある情報関係者から1980年代半ばに聞いた話によると、サリンを香水などの瓶に仕込み、ターゲットに吹きつけて殺すのだという。銃や刃物を使った殺し方は時代遅れだということだった。

ところで、1973年9月11日にチリではCIAの支援を受けたオーグスト・ピノチェト将軍がクーデターを成功させ、民主的に選ばれたサルバドール・アジェンデ大統領の政府を倒している。

クーデターでアジェンデ大統領は射殺され、その支援者と見られた約2万人が虐殺されているが、それだけではすまなかった。ピノチェトは1974年、ライバルで護憲派だったカルロス・プラット将軍を亡命先のアルゼンチンで爆殺、アメリカの首都ワシントンではアジェンデ政権で駐米大使、外務大臣、国防大臣を務めたオルランド・レテリエルを1976年に暗殺している。

レテリエルは自動車に爆弾を仕掛けられて殺されたのだが、当初はシャネルの香水瓶に仕込んだサリンを使用する計画だった。このサリン入りスプレー缶を開発したのがチリの生化学者、エウゲニオ・ベリオス。サリンを使おうと計画したのは、自然死に見せかけるためだ。

1990年にチリが民政に移行すると、ピノチェト時代の暗部にメスを入れようとする動きが出始め、ベリオスにも調査の手が及びそうになってきた。証言を阻止するため、1991年にピノチェト一派はベリオスをアルゼンチンへ逃亡させているが、翌年になると彼の存在が重荷になりはじめる。

身の危険を感じたベリオスはピノチェト一派が用意した隠れ家から逃亡、地元の警察署へ逃げ込んだが、ここで彼の足取りが途絶えてしまう。ワイアでまかれたベリオスの死体がウルグアイの首都モンテビイデオで発見されたのは1995年のこと。拷問のうえ、45口径の銃弾が撃ち込まれていた。検死の結果、殺害時期は1993年だとされている。

兵器に精通した軍人、科学者でもサリンの製造は難しく、大学で化学を少しかじった程度の知識では手に負えない代物だ。サリンを作り出したベリオスに証言されると、サリンの開発と暗殺計画の全体像が明るみに出てしまう可能性があったのだろう。





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Last updated  2006/09/19 06:17:26 PM
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