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桜井ジャーナル:マスコミが報道しない事実    ―見えない「帝国」の闇 【非公式情報】    

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2008/06/19
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フランスのニコラ・サルコジ大統領は、同国軍をNATO(北大西洋条約機構)軍へ復帰させる意思を明確にした。フランス軍がNATO軍から離脱した背景を考えると、この方針は一種のクーデターと言えるかもしれない。

アメリカのジョージ・W・ブッシュ大統領と同じように、サルコジ大統領は「テロリストによる攻撃」を最も緊急を要する脅威だとしているが、フランス軍がNATO軍から離れた直前にも、フランスでは「テロ」が相次いでいた。シャルル・ド・ゴール大統領を暗殺しようとする「テロ計画」が実行に移されたのである。

当時、フランス政府はアルジェリアの民族自決を認める政策を打ち出していたのだが、その政策に反対するグループが「OAS(秘密軍事組織)」を結成、「テロ活動」をはじめたのである。その背後には「NATOの秘密部隊」が存在していたと言われている。

戦後、アメリカとイギリスは「ソ連軍が西ヨーロッパを占領した場合」に備えて一種の残置部隊を創設していた。これがいわゆる「NATOの秘密部隊」だが、当時のソ連は軍隊も経済もドイツとの戦いで疲弊、西側に攻め込む余裕はなく、この秘密部隊が西側各国の左翼勢力を攻撃しはじめたのは自然の流れだった。

中でもイタリアの「グラディオ」は有名で、1960年代から1980年代にかけて「左翼過激派」を装って「爆弾テロ」を繰り返し、何度かクーデターも計画している。この秘密軍事組織の存在を隠しきれなくなったイタリア政府は1990年、その存在を認める報告書を発表している。イラクがクウェートに軍事侵攻、アメリカ軍がイラクを攻撃するという展開の中で、この報告書に関する話は注目されず、日本では埋没してしまったようだが。

1960年前後の時期、アメリカの権力層には軍事力(核兵器)を使いたくて仕方のない連中がかなりいたらしい。例えば、1961年にアメリカのCIA(中央情報局)はキューバへの軍事侵攻を試みて失敗、アメリカ軍の直接介入は新大統領、ジョン・F・ケネディに拒否されている。

その後、キューバ政府の人間を装ってアメリカの諸都市で「爆弾テロ」を行い、最終的には無人の旅客機を自爆させ、キューバ軍に攻撃されたことにして戦争を始めようという計画が考えられた。「ノースウッズ作戦」である。このグループの中には当時の統合参謀本部議長も含まれていた。彼らは、1963年末までなら、ソ連との核戦争で圧勝できると考えていたようだ。(拙著『テロ帝国アメリカは21世紀に耐えられない』には、同作戦に関する極秘文書が収録されている。)

ちなみに、この将軍は議長再任をジョン・F・ケネディ大統領から拒否され、NATOヨーロッパ連合軍最高司令官に就任している。その頃からイタリアで「テロ」が盛んになるのは興味深い「偶然の一致」だ。ちなみにこの人物、琉球民政長官だったこともある。

フランスでは、キューバ侵攻作戦と同じ年にOASはクーデターを計画、ケネディ大統領が暗殺される前の年、1962年にもド・ゴール大統領の暗殺を企てている。パリ郊外で大統領を待ち伏せ攻撃したのだ。その計画の中心人物がジャン=マリー・バスチャン=チリー大佐。事件の翌月には暗殺計画に加わっていたメンバーが逮捕され、ジャン=マリーは処刑される。フランス軍がNATOの軍事機構から離脱したのは襲撃の4年後、1966年のことだ。フランス軍がNATO軍へ復帰する意味は重い。





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Last updated  2008/06/19 01:17:16 PM
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