ハッピーバースデー! だけど・・・フィフティ・フィフティ
♪ハッピーバースデー トゥ ミー ハッピーバースデー トゥ ミー誰も祝ってくれないので、自分で歌って祝います(笑)今日、誕生日を迎えてしまいました。大台突入のメモリアルバースデーです。でも、今までの人生で一番微妙な心境になった誕生日ですね。五十でっせ。五十路に突入でっせ。完全にジジイの仲間入りでっせ。信じられまへんなあ。人生五十年 下天のうちを比ぶれば 夢幻の如くなりと織田信長が詠った通り、ホントあっと言う間の五十年ですよ。おそらく私の寿命は、せいぜいあと20年ぐらいだと思うので、これからの20年も凄まじい勢いで通り過ぎていくでしょうね。それを思うと、誕生日なんか大しておめでたくもないですね。「めでたさも 中くらいなり おらが春」の小林一茶の心境ですな。めでたさも フィフティ・フィフティ。背番号「50」番と言ったら、やっぱりこの人。1987年に日本球界に彗星の如く現れたヤクルトのボブ・ホーナー。5月からの途中入団でありながら、入団していきなりホームランを連発し、終わってみればホームラン31本。日本のファンに鮮烈な印象を残しましたね。また豪打もさることながら、内野ゴロを打った時の一塁への全力疾走も、私は目を見張りましたね。同じく背番号「50」番と言えば、阪急ブレーブスのアニマル。1986年から2年間に渡って、阪急のクローザーを務めたんですが、何と言っても打者を打ち取った時のパフォーマンスが凄かった。四股を踏んだり、手刀を切ったり、アニマルの名の通り「ガオー!」と吠えたり、仕舞いにはゲームセットで握手に来たキャッチャーにグラブでパンチしたりと。そのパフォーマンスに関して賛否両論ありましたが、私は観る者を飽きさせないプロ根性は見事だと思いましたよ。球はさほど速くなかったけど(笑)アニマルとは正反対と言えるクローザーの背番号「50」番は、福岡ダイエーホークスの初優勝に貢献したペドラザ。焦らず騒がず、いつも冷静沈着で、飄々としたピッチングに気がついたら凡打の山。打てそうで打てないピッチャーでしたね。忘れちゃいけない、「50」番トリオの一角のこの人も。10番時代より「50」番時代の方が私は好きだったな。「50」番の駒田は豪快だったから。プロ入り初打席満塁ホームランを打った時の背番号はもちろん「50」。振り返ると、背番号50番は個性的な選手が多いですね。背番号50番の選手にあやかって、豪快かつ冷静な50歳になりたいものです。考えてみれば私の人生も季節に例えるなら、秋に差し掛かった訳で、秋を彩る紅葉のように、これからの50代は、人生をキレイに色付けする年代にしたいなと思ってます。「初老」の私を、どうぞこれからも宜しくお願いしますね。それでは曲です。吉田拓郎の「いくつになっても Happy Birthday」と、織田信長の「敦盛」と、中山美穂の「50/50(フィフティ・フィフティ)」と、馬場俊英の「人生という名の列車」4曲続けてどうぞ!