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2024年01月24日
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カテゴリ:その他


人間生きていれば、1年に一度は誕生日を迎えるもので、
その例に漏れず、私も今日、誕生日を迎えました!!



誕生日おめでとう! パチパチ!!
(誰も祝ってくれないので、自分で祝います・笑)

まあ、50過ぎてから着実に老いを感じるので、自分の誕生日なんか祝う気も起きないんだけど、
ひとつの区切りだし、メリハリをつける為に一応ね。




プロ野球選手の背番号「57」で私が真っ先に思い浮かんだのが、
中日ドラゴンズの彦野利勝選手の背番号「57」

長年、中日の強打の1番打者として活躍していた田尾選手が西武にトレードされ、
代わりに1番打者の責を担ったのが、彦野選手でした。
愛知高校時代はエースで4番の二刀流で活躍し、プロ入り後は打者に専念し、
ホームランが打てる強打の1番打者として1988年のリーグ優勝に貢献しました。
のちに背番号を8にしますが、私は57番時代の活躍のほうが記憶に残ってますね。
パンチ力のある良い打者でした。





もうひとり背番号「57」で思い浮かんだのが、近鉄バファローズの古久保健司捕手。
光山捕手と併用の時代が長かったですが、
その強肩とパンチ力のあるバッティングは定評がありました。
あの伝説の10・19にも出場してましたからね。
古久保選手ものちに27番に背番号を変えますが、57番時代が印象に残ってます。



背番号「57」の第一人者は、現役生活18年間「57」を背負った、
千葉ロッテマリーンズの佐藤幸彦選手。

内外野守れるユーティリティープレイヤーで、
打者では左キラーとして名を馳せ、主砲の主軸選手が不調の時には、
4番を打ったりするバイプレイヤーでありました。
プロの野球選手として、一種の憧れを抱いたりしましたよ。




上に挙げた3選手に共通するのが、
プロ入り後に自力でのし上がって、自分の地位を確立したところですね。
3選手とも全員バイプレイヤーということで、
背番号「57」もバイプレイヤーの番号と言えるでしょう。
しかも、パンチ力があるバイプレイヤー。




「57」はイナとも読めます。
なので、稲積(いなづみ)神社の画像を(笑)

教鞭を取っていた数学者のグロダンディークという人は、
生徒の質問に答える時に、ついうっかりして、
素数の代表例として「57」の数字を挙げてしまいました。
57は、3と19で割り切れるので、素数ではないのです。
それ以来、ひとつのシャレとして、57はグロダンディーク素数と言われるようになったとか。

ある意味、「57」は迷いを生じる数字であり、年齢なのかもしれません。
だからこそ、自分を見つめ直し、日々を地道に過ごすことが大事になってきますね。
「57」にあやかり、どんな環境でも躍動する気持ちとユーモアを忘れず、
どんな時も平常心で動じず、時にはパンチ力を効かせるバイプレイヤーとして、
渋く生きる1年にしたいと思っています。


「57」の私をこれからもよろしくお願いします。



それでは曲です。吉田拓郎の「いくつになっても Happy Birthday」と、
私と同世代の、馬場俊英の「人生という名の列車」と、
私と生年月日が全く同じの、​​川村結花の「夜空ノムコウ」​​​​
3曲続けてどうぞ!



自分の歴史を振り返ってみて、辰年は転機の年。
1976年はプロ野球を自分の意志で見始めて、データも集め出した年。
1988年は東京から山梨へUターンした年。
2000年は当時勤務していた会社が倒産し、平日のYBSラジオの番組に投稿し始めた年。
2012年は40年近く住んだ家から今の住居へ引っ越した年。
そして、いずれも次の年に良い形で引き継がれているので、
今年の辰年がどうなるのか胸が高鳴ってます。





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最終更新日  2024年01月24日 20時05分26秒
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