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文芸作品として社会通念上の常識として許される範囲内で綴っていきますが、念のため
18歳未満の方は保護者同伴の上、制服制帽着用で正座して読んでくださいまし。
詳しくは、ガイドラインをお読みください。

というか・・・毎度のように暗い話ですみません。

6月4日から新しいのを載せ始めました
2006年12月04日
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カテゴリ:カテゴリ未分類
 新大阪駅を発車した夜行列車は、淀川を渡るとすぐに大阪駅に到着し、数分間停車する。
 その間にこっそり下りてしまおうかとも思ったが、僕はそのまま列車に乗って、熊本へ向かった。
 熊本での「まいさん」の住所は、知らなかった。知っているのはケータイとPCのアドレスという、あくまでもネット上の「住所」だけで、それすらも途切れてしまっているのだ。
 検札に回ってきた車掌に、急に熊本に行く用事ができて飛び乗ったと話し、切符を買った。案内されたのは、寝台車客室の一番奥、洗面所との間を仕切るドアのそばにある区画の、上段のベッドだった。
 ベッドにこもるにはまだ早い時間で、ネクタイを引き抜くように外し、通勤鞄をベッドに放り、窓際の通路にある補助椅子に腰掛けた。
 客室は、休み前だからか、それとも休み前なのにか空いており、冷房はしっかりと効いていたから余計に寒々としていた。数少ない他の乗客の話し声は疎らで、列車の走る音だけは延々と続き、時折、列車の前の方から寂しげな汽笛がかすれ気味に聞こえてきて、心にしみた。
 窓の外は、阪神間に連なる街の明かりが滑るように流れ、その明かりを眺めていると、「まいさん」との七年間の記憶が、それぞれ小さな断片となって心の奥底から浮かんできた。
 そもそも「まいさん」と出会ったのは、ネットの掲示板だった。その頃僕は、大学を出て会社に入ったばかりだったが、新しい環境になかなか順応できずにいた。それまでは割と平坦だった人生が、高い崖に突き当たったようで、気分は塞ぎ、休日に気分転換に外へ飛び出す気力さえ萎えてしまっていた。それでネットという仮想空間をに逃げ込んでばかりいたのだ。
 そんな時、熊本の小さなインターネットプロバイダーが開設していた掲示板になんとなく入り込んだ。
 もともとはプロバイダーの契約者同士の情報交換のために開設された掲示板だったのだろう。けれど、投稿者のメールアドレスを見る限り、そこの契約者は少ないようだった。それどころか、常連も通りすがりの者も、訪問者は全国に散らばっているらしい事が、投稿内容から分かった。
 投稿テーマは、例えばある時の誰かの発言で始まったり、その日話題になったニュースがネタになったりと、その時その時でてんでばらばらで、複数のテーマが同時並行で進行していたり、特定のテーマで盛り上がったり、あるいは意見が割れて紛糾したりしていた。
 そもそもが掲示板の名前からして「雑談BBS」だった。
 そんな掲示板の中で、「まいさん」は熊本の人だった。
 僕とほぼ同じくらいの時期に掲示板に入ってきた。僕が初めて目にした彼女の投稿が、どんなものだったかは覚えていない。僕自身の最初の投稿すら覚えていないのだ。それどころか、僕と「まいさん」が最初どんなふうに話題に加わり、互いにレスを付けていたのかさえ、記憶はあやふやだ。
 おそらくは、どうでもいいような話題の数々に、大勢で加わってわいわいやっているうちに、互いに存在を認識していったのだろう。
 ただ、大勢の参加者たちの中で、僕が「まいさん」の存在を少し特別な位置に置くようになっていった頃の事は、なんとなく覚えている。
 彼女は、ゆったりと落ち着いた人だなという印象だった。
 大学に入ったばかりで戸惑い、あるいは新鮮な気持ちで毎日を送っている、その日常をつぶやきのように投稿する事が多かった。そして、空の風景が好きだという彼女は、雲や太陽や月の話を書く事も多かった。
 社会に出て、傷つき、荒みがちだった僕の心は、彼女の投稿でどれだけ和んだか。
 しかし、彼女の投稿はしばしば、変にボケたところがあった。そこを誰かに突っ込まれると、余計にボケたレスが返ってきたりするのも、それはそれで可笑しかった。
 そのうちに、映画や読書や音楽の趣味に、僕と共通点があるように思えてきた。そこで、思い切って彼女にメールしてみた。すぐに返事があり、何度かメールを交わしているうちに、彼女も僕の事が気になっていたようだと知った。そして、どんどんと打ち解けていき、同じ価値観を共有できそうな気もしてきた。
 けれども、二人の間の距離が急に縮まるという事は、なかった。むしろ、彼女に一時的に好きな人ができたり、僕にも好きな人ができたりと、七年の間にはそんな事もあったりした。しかし、めったに会わずにほとんどメールだけの関係でも、二人の間は途切れる事なく結ばれているような気がしていた。
 それは錯覚だったのか。
 彼女を見失ってしまった今、その残像を追い求めるように、僕は夜行列車で彼女が住んでいるはずの街に向かっていた。
 姫路を過ぎてから、車窓は町の明かりも途絶えがちになり、代わりにどこか遠くで走る稲妻が、空いっぱいの雲を青く浮かび上がらせていた。
 時間も遅くなっていた。僕は、ベッドに入った。

 翌朝、車内放送で目が覚めた。ベッドを仕切るカーテンの外は明るいらしく、布地のわずかな隙間の向こうには、まばゆい光があふれているようだった。
 着替えてベッドから抜け出すと、列車はすでに博多も過ぎて、筑後平野をひた走っているところだった。
 通路の窓からは、朝の太陽のまぶしい光が押し寄せてきた。ただ、空には水をはらんで重くなった雲の塊が、鉛色の底を見せながらいくつも浮かび、北へ向かっていた。
 この辺りも夜のうちは雨だったらしく、空の下に広がる平野の水田の緑や、道や、集落の屋根は、水に濡れた濃い色を見せていた。そういえば空と平野の間にある空気も、水分が飽和したような光の加減だった。
 僕はケータイを開いてみたが、夜の間にメールも電話も受信していなかった。
 列車はあと一時間もせずに熊本に到着する。熊本に着いたら何をするべきか、何をしたら良いのか、夜の間にも全然考えていなかった。
 いやそれでも、僕は「まいさん」の本名と出身大学、学部学科は辛うじて知っていたから、そこを手がかりに探せば良いのではないかとは、考えてみた。
 けれど、僕は彼女を、メールだけで繋がった、ただそれだけの存在にとどめておいた方が良かったのかもしれない。彼女がネットという架空空間から消えたのは、やはり現実世界で何らかの変化があったからだろうし、そんな彼女の存在を、そこまでして追いかけるのは、行過ぎた行動ではないかという不安めいた気持ちがどこかにあった。
 それなのに、僕は熊本まで行こうとしている。まったくの無意味で無駄な行動としか言いようがないのに。
 あえて意味を見出そうとすると、結局は、僕は彼女にそれほどまでの好意を抱いていた事を改めて知った、ただそれだけだ。
 彼女が住む街にひとりで行っても、心の空虚さは、彼女がいない事で増幅されるかもしれない。
 けれど、もうそれで想いを断ち切って、飛行機にでも乗ってさっさと大阪へ帰ろう。そう決めた。
 ぼんやりと景色を眺めているうちにも、列車は終着駅の熊本に近づいていた。平野から、丘陵地帯を越えて、また平地へと車窓は変わっていった。
 線路の西側には、大きな山の連なりが列車の進行方向に沿って続いていた。その先にあるひときわ大きい山が、金峰山だろう。「まいさん」からのメールに、時々出てきた山だ。
 金峰山は、熊本の街の西側にどっしりと構える山で、彼女は、そこに沈む夕日と、日没後の稜線の鮮やかなシルエットが好きだと言っていた。
 その金峰山は、濃い緑の山肌に、雲の影をまだらに映して、どんどん近づいてきた。
 チャイムに続き、熊本に到着する事を告げる車内放送が流れ、残り少なくなった乗客が、降りる支度をする気配がした。そのうちに列車は市街地に入り、速度を落として熊本駅に到着した。
 ホームに出ると、異様に蒸し暑かった。熊本の夏の暑さと冬の寒さはきつい、と「まいさん」はメールでもこぼしていたが、なるほど、朝のうちから厳しい暑さだった。
 ガラス張りの通路を渡って改札を抜け、駅前に出た。
 駅前広場の停留所には、路面電車が発車を待っていた。とりあえず、電車に乗って繁華街まで行こう、そう思って、歩きだした。
 その時、ケータイからメロディが流れた。メールを受信したのだ。
 ひょっとすると、「まいさん」かもしれない、そう思ってあわててポケットから取り出したケータイを、取り落としてしまった。
 いくらなんでもそんな偶然はないだろう、もし本当に彼女からだったら、それは奇跡だ、と思い直しながら拾い上げ、画面を開いた。
 次の瞬間、僕は息を飲み込んだ。信じられなかった。奇跡は起こったのだ。「まいさん」からのメールだった。
 夢なら覚めるなと念じながら急いで読んだ。

「本当にお久しぶりです」
「長い間、お返事なくてごめんなさい。これまでの間に、身内の不幸が重なったり、仕事がうまくいかなかったり、好きな人ができてすぐフラれたり、いろんな事がありすぎました。それでも、私のことを忘れずにメールをくれたのは、本当に嬉しいです。でも今まで返事しなかったから、かえってお返事できなくて。でも、昨日の虹の雲のメールを見てから考えました。勝手なお願いなのはわかっているけど、またお付き合いさせてください。
直接会って、お話したいです。会えるかどうか分からないけど、今から博多行きの特急に乗ります。大阪には昼頃に着きます。本当によろしければ、お返事ください。待ってます」

 僕は、自分でも驚くくらい心臓が高鳴り、思わず駅に向かって駆け出した。
 さっき、ホームで流れていた構内放送で、博多行きの特急列車の出発を案内していた。もし彼女がその列車に乗っていたら、入れ違いという事になる。
 けれどもその次の列車だったら、まだホームで待っているはずだ。
 僕は走った。急いで自販機で入場券を買ったが、釣銭が出てくるのさえもどかしかった。改札を抜け、階段を駆け上がり、雑踏をかいくぐるように通路を走った。通路の窓からは、到着する特急列車の屋根が見えた。
 階段を駆け下りる時、列車のブレーキ音が甲高く耳に入った。ホームに下りた時は、ちょうど列車のドアが開き、乗客が乗り込もうとしていた。
 はたして「まいさん」は何号車に乗ろうとしているのか、分からなかった。けれど、乗客の列、客室の窓をあわただしく確認しながら、とにかく前に急いだ。
 これ以上の偶然がまだ許されるなら、起こってほしい。そう思った瞬間、僕は見た。前から二両目のドアから、列の最後尾について乗り込もうとする「まいさん」の姿を。
 僕は彼女の名前を呼んだ。ステップに片足を掛けようとしていた彼女は、反射的に足を下げ、僕の方を向いた。
 信じられないといったふうに、「まいさん」は目を丸くした。僕は、身体じゅうの力が一気に抜けるような気がして、体勢を保つために、膝に手をついた。
 彼女は僕に歩み寄った。
「どうして……ここに……?」
僕は思わず彼女を抱きしめようとしたが、ずらりと並んだ客室の窓からいくつかの視線を感じていたし、なにより息が上がっていた。
「詳しくは、あとで話すよ」
辛うじてそれだけ言い、僕は息を整えた。その間に列車はドアを閉じ、北へ走りだした。
 列車がホームを離れてから、僕はようやく「まいさん」の手を取った。けれど、話す事が多すぎて、なかなか言葉が出てこなかった。
 その代わり、僕は彼女をじっと見詰めた。彼女はうっすらと涙を浮かべているのか、瞳は虹のように輝いているようにも見えた。

(終わり)

ちなみにまだYahoo!Japan文学賞ノミネート作品は読んでいません。
自分の実力が至らなかった事を見せつけられそうで。
けれども応募したからには、ノミネート作品を読み、投票するのは義務だと思うので、そのうち読みます。→http://bungakushou.yahoo.co.jp





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最終更新日  2006年12月04日 23時07分48秒
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