【寿司入門】 鮨・鮓・酸し・寿司(4)室町時代に誕生した生熟寿司
【32%OFF!送料込み・お試し価格】紀州名物早なれ寿司&さんま寿司 紀州の味食べくらべセット本来の熟寿司が徐々に生熟寿司にとなったのは室町時代以後だと言われています。ここで、紹介する早熟寿司は後半で紹介する江戸時代初期の元禄時代に生まれました。 前回は、日本の平安期までの『熟寿司』についてご紹介いたしました。今回は室町時代以後に見られる『生熟(なまなれ)寿司』をご紹介いたします。 前回もご紹介した今昔物語のエピソードを少し気持ち悪いのですが、思い出してください。酔って吐いた反吐を洗い落としていましたね。当時の人々が熟寿司の欠点として捉えていたのが、魚を漬けた米が食べられないということでした。 今では、スーパーに行けば10Kg、3,000円程度で簡単に求められますが、当時の人々にとって米は貴重品です。何とか、熟寿司を作るのに使った米も食べるようにはは出来ないだろうか?と、考えました。 こう考えたのは日本だけです。熟寿司を発明した東南アジアやそれを日本に伝えた中国にもそのような発想は生まれませんでした。 日本では発酵を抑えて、米も食えるようにした『ナマナレ』が室町時代に誕生します。ここで、初めて発酵した魚と米を一緒に食べるという発想に後々繋がっていきます。 当時の生熟寿司は、現代の早熟れ(大体3日~1週間)とは違い、大体半月~1ヶ月の間、魚を米に漬け込んだものでした。 少しでも漬け込む期間を短くしたい。そんな思いから、様々な工夫が試みられました。中には温度を上げるといった工夫もされたようです。江戸時代になると、糀や酒粕、古酒を加えるといったことがされ始めました。 そして、次回の酢を加えるようになった江戸中期の寿司へと繋がります。