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カテゴリ:マジネタ、硬派記事
07月09日、平岡正明が亡くなった。享年68歳。
脳梗塞だったようだ。 発見が遅れたのか、よほど大きな部位の梗塞だったのか。 平岡正明さん、平岡正明氏...まして平岡正明先生 彼に敬称は、たぶん、似合わない。 なので、敬意を込めて 平岡正明 と、呼び捨てにする。 彼の数多い著作の中の一作のタイトルのように 『お兄さんと呼んでくれ』 ならば 平岡兄貴でも良い。 のだが、 通常、私が追悼文を書く/書きたいと思う人物とは異なり 一度も彼に直に会ったことはなく、ましてpersonal communicationを持つ機会もなかった。 (実際、会ったことのない方を書くのは成毛滋以来だ) そのような彼に『兄貴』も、ないだろう。 彼の訃報に接し、書斎を調べてみたのだけれども すぐに見つかったのは
概ね、1970年代から80年代の著作に限られている。 生涯百数十冊の著作を上梓したはずなのだが。 念のために言う これは、結果だ。 最初から「100冊以上書く!」とか言うタワゴト/結果を目的と取り違えているバカとは一線を画すということだけは キッチリ、言っておく。 主著である 『山口百恵は菩薩である』も『あらゆる犯罪は革命的である』も『ジャズより他に神はなし』も読んでおり、持っているはずなのだが、 残念ながら、今のところ、書斎の中から、私は見つけ出すことができずにいる。 彼の巧みさは、タイトルにある。 前述の書名以外にも、曰く『マリリン・モンローはプロバガンダである』『過渡期時間論』『西郷隆盛における永久革命』 蠱惑的で、かつ、内容を的確に表現する巧みさ。 併せて、彼はjazzのimprovisationのように書く。 ベースはjazzであったことがここからもうかがわれる。 そして、それは、成功していた。 主語は「俺」。 ASAHIで追悼記事を書いた四方田犬彦は、そう述べ 私もそう感じていたのだが、 それは違う。 私が読んでいたのは70年代から80年代の著作ということをもう一度確認した上で述べるが 「私」「われわれ」「オイラ」 これに 「俺」が加わる。 もうひとつ。 彼はあたかも世界革命浪人(ゲバリスタ)を名乗ったかのように書かれている。 これも半分しか当たっていない。 平岡正明・太田竜・竹中労 平岡自身が書いているが 『三馬鹿』 このほうが私には馴染む。 最後に、 『日本人は中国で何をしたか』を再読し 私はたいへん驚いたのだった。 この書は 正確に、正当な人文科学論文の体裁を持つ。 いや 「体裁を持つ」どころではない。 当時手に入れることが出来た資料や証言(←一次資料だ)を拾い集め、 さらに緻密な論理で構成を貫徹している。 主語は、論文であるが故に『私』もしくは『われわれ』。 おそらくは『自虐』を騒ぎ立てるバカモノどもが否定する『南京大虐殺』のみならず (『南京大虐殺』については中華人民共和国の公式発表も、『大虐殺はなかった』とファナティックに言い立てる『自虐派』という徒党の主張も信頼できない) 『三光作戦』にも...というか三光作戦に多くの枚数を割く。 (自虐派は、これについて、明確な解答を提示していない) 平岡正明は、私にとり 人気blogランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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