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ラッコの映画生活

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2007.02.18
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カテゴリ:アメリカ映画
POINT OF NO RETURN
THE ASSASSIN
アサシン 暗・殺・者
John Badham

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寸評:ベッソン監督のフランス映画『ニキータ』のリメイク。娯楽作品以外の背景的社会性を骨抜きにした駄作。娯楽作品としても演技や演出、本家ベッソンと変えた後半のストーリーとラストがつまらない。

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殺人を犯して死刑判決を受けた不良娘マギーが、訓練を受け政府秘密組織の工作員(殺し屋)になって外の世界に出るが・・・。ストーリー詳細は『ニキータ』のネタバレレビューやgoo映画(『アサシン』http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD10979/story.html、『ニキータ』http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD15856/story.html)等他の映画サイトを参照して下さい。ここでは本家『ニキータ』との比較で感じたことを書かせていただきます。

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(以下ネタバレ)
<社会構造の批判に関して>
ベッソンの映画の背景的テーマの一つが骨抜きになっている。監督の意志か?、プロデューサーや映画会社の意志か?、世論に対する配慮あるいは迎合か?。ベッソン作品で重要だったのは、30年以上の終身刑という絶望的な心理のニキータの弱みにつけこみ、死で脅しながら、国民の幸福のためという大義名分で国家の殺し屋として使おうという国家による個人に対する暴力とエゴイズムについて考えさせること、あるいはニキータが麻薬常習の不良娘になり警官殺しに至ったことの責任をニキータひとりに着せてよいのか、それとも社会にも責任があるのか、そういうことを考えさせることだった。そういうことがすべて捨象されてしまったのがこの『アサシン』だ。

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<バイオレンス描写に関して>
最初任務のレストランでのドンパチシーンで、本家ベッソン版では厨房のコックが流れ弾で死ぬ映像はないが、『アサシン』ではどんどんコックが撃たれる。また要人の泊まるホテルの爆破作戦では、ベッソン版は爆発のシーンが写らないがバダム版ではしっかりと写る。不必要な暴力描写は不快。

<物語の分かりやす過ぎることに関して>
誕生日にボブはニキータ/マギーを外のレストランに連れ出し、そこで初の暗殺指令を出すわけだが、これが「最後のテスト」だったとわざわざ言葉に出して説明する。任務を遂行したら辞職したいマギーの相談に乗るというボブ、そして最後にはマギーが独り去ったことを知って彼女が死んだと組織に報告するなど、説明過剰の分かりやすさだ。こういう差がアメリカ映画は分かりやすい、フランス映画はわかりにくいと言われる差なのだけれど、微妙で複雑な事態・状況・心理を明確には描くことなどできない。映画を見ながら考え、見終わって考えるあり方のほうが重要だ。アメリカ人はそういうことを決定論として描き、考えようとしないから、アメリカの世界政治も単純なものとなる。

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<男性中心主義に関して>
主人公の不良娘ニキータ/マギーは死刑の際に母を呼ぶ。一方彼女が埋葬されたことになっている葬儀の写真で、マギーの方では父親が写っていてそれが指摘される。これはニキータの場合は兄弟だった。母よりも家長としての父の存在を重視しようというアメリカ的男性中心主義が見えて不快。(もちろんこの映画だけ見れば気付かなかっただろうが、本家と比べると作為を感じる。)

<ブリジット・フォンダ演技と演出に関して>
本家『ニキータ』では当時ベッソン監督と結婚していたアンヌ・バリローが事前に1年もの訓練を受けたらしいが、ブリジット・フォンダの演技は悪くはないが、銃器の扱いなど素人っぽかった。主人公の娘がライフルで狙撃をしているというだけで満足のアメリカ。そこに真実味を求めるフランス。そういえばピアニストや指揮者が主人公の映画などでも、アメリカ映画では本当らしからぬ演奏振りで気持ちの悪いことが多い。それと外の世界に出てからの主人公の若い女性としてのキャラクターがあまりにも普通過ぎた。

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<恋人JPの人物設定に関して>
ここで描かれるべき愛とは、相手が精神的に求めるものを与えられる自分がいて、それを相手に与えることに自分も喜びを感じられるという一つの愛の形だ。しかしこのアメリカ版リメイクでは主人公の恋人の愛の姿が十分描けていない。だから映画が終わったときもマギーとJPの関係はその辺の悲恋程度にしか感じられない。

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<アマンダの演出に関して>
本家のジャンヌ・モローがその人間性の重みと優しさで不良娘の心を捉えるのに対して、この作品のアン・バンクロフトは権威的に過ぎ、不良娘マギーが心を開くことに現実味が薄い。

<余談>
アメリカ映画では「ドンペリ」、フランス映画では「テタンジェ/コント・ド・シャンパーニュ」。は、は、は、は。

<最後に>
ブリジット・フォンダは魅力的だし、前半などあそこまで同じに作ってるのだから、舞台をアメリカに移し、ストーリーもセリフもほとんど変えないで、そのままリメイクしてくれた方が、ボクにとってはありがたかった。

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Last updated  2007.02.25 20:10:36
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