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お掃除が呼ぶ幸せ(掃除の世界から見えたこと)

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2023.03.11
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今は漢族出身の中華人民共和国が幅をきかせているが、支配政権はくるくる変わってぃた。

 

清国の母体であった女真族は、現在の中華人民共和国、東北三省(遼寧省・吉林省・黒竜江省)と言われる地・満州に居住していた北方ツングース系の狩猟民族である。

女真は「ジュルチン」と発言するのですが、ジュルチンは女真族の言葉で「人々」を意味するものであり、10世紀頃、漢民族により漢字を当てて「女真」と呼ばれていた。17世紀頃、女真族の当時の指導者により蔑称・良くない意味を持つ女真から満州(マンジュ)へ民族名を変え、現在は満州族と呼ばれています。満州族は現在、中華人民共和国の中の少数民族の一つとされています。

少数民族ということは、人口は少ないというわけでは無く、なんと日本の総人口のおよそ10分の11000万人を超えている。それでも、中華人民共和国全体で10億人を超えると言われる総人口からすると、1%程度の割合にしか過ぎないことになる

また、女真族の後身である満州族は、現在、自らの国や自治政府を持っていない。戸籍で満州族であることは分かるようになっているものの、文化的に漢民族に同化して消えつつある民族と言われている。

北をアムール川、南を黄海、東を長白山脈、西を大興安嶺、に囲まれた東北平原は、中華人民共和国における三大平原の一つとして、今では同国における一大穀倉地域になっている。この東北平原が、狩猟民族である女真族の根拠地であり、歴史の舞台であったが、日清戦争に敗れた後は、国民党軍と八路軍の内戦により、更に力を弱めた。

 

もっと前にはモンゴルという一大勢力があった。モンゴル帝国の歴史は、モンゴル系部族あるいはトルコ系部族の一部をテムジン(後のチンギス=ハン)がまとめ上げたことに始まる。
テムジンは1206年、部族長会議の決定により
チンギス=ハンの称号を受け取ることになった。ハンとは、遊牧騎馬民族の間で最高権力者を意味し、漢字では「汗」と書いた。このハンにテムジンが即位したことによりモンゴル帝国が成立した。

チンギス=ハンは、シルクロード沿いの国家に狙いを定めていき、まずは、1211年に金を攻撃を仕掛け滅亡寸前まで追い込んだ。
1217
年には、ナイマン部の支配地を攻撃(部とは部族のこと)。
1219
年にはホラズムを、1227年には西夏を滅ぼした。

そして、時代は2代目のオゴタイ=ハンに続き、1234年には遂に金を征服。西夏も征服しているのでこれで華北は支配完了。そこで、今度は狙いを西側に移します。ここで活躍するのがバトゥという人物です。このバトゥにより1236年~1242年にかけてヨーロッパに達するまで侵略の手を伸ばした。

3代目のグュク=ハンの在位はわずか2年で終わり、モンケ=ハンの時代となる。彼の弟があの有名なフビライ=ハンです。ちなみに兄弟にフラグという人物もいますが、彼もスゴイ!
フビライ=ハンは1254年に大理国を滅ぼし、高麗も服従させます。

フラグの方は1258年にアッバーズ朝を滅ぼします。

この内乱は30年余り続き、これがもとで今までモンゴル皇帝のもとにチンギス=ハンの子孫が支配する国々が連合するという形から、事実上これらの国が分裂することになったが、フビライ=ハンは今まで以上に中国支配に力を注ぐことになる。1264年には都を大都(だいと、今の北京)。ここに置いて、1271年には国号をとした。

兎に角、モンゴルに攻められて、これを撃退できたのは、日本一国のみであった。

 

たくさんの異民族に囲まれて暮らしていた漢民族の人々は、自分が漢民族であるというプライドを常に持って暮らしてきた。

この漢民族というのは、彼らが自分たちを1つの民族として意識し始めたのは、周王朝あたりであると言われている。

 殷のを討ち取った周の武王が古代の聖王である。

神農・黄帝・尭・舜・兎の子孫を探し出して中原あたりに封じ「華族」と称しました。

これが漢民族のアイデンティティの萌芽であると考えられています

また、中原あたりはもともと夏王朝が栄えた地でもあったためいつしか中原あたりに住む人々を「華夏族」と呼ぶようになりました。

中国人は今でも中国を「華夏」」と呼んだり中華文明を「華夏文明」」」と呼んだり

することがあるようです。

しかし、他民族から攻められると、いつも影を潜めてしまう。






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Last updated  2023.03.11 14:38:34



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