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世間にもの申す [全103件]
葬式の準備は? 高専の仲間の村松も池谷も赤間も既に他界している。 僕等の死期もそんなに遠い話ではない。 死んだ後に、遺族に負担をかけないようにしたいと、ぼくは思う。 個人的には、自分の葬式などどうでもいいとは思うが、 遺族の社会的な体面などを慮れば、そうも行かない。 ぼくはクリスチャンだから、葬儀は教会にお願いすれば、 棺桶代と花代だけで済む。 神道式や仏式の葬儀は金がかかり過ぎるので、 最近は、友人葬や家族だけの密葬も多くなってきた。 君はどうするつもりか? 考えている人は、ぼくが相談に乗る。
名を北橋綱蔵と言う。 近所の銭湯のボイラーマンをしていたが、頭脳明晰な人で、 当時小学生だった僕を可愛がってくれて、 休みのたんびに、映画や美味しいものを食べに連れて行ってくれた。 僕も、ちょくちょく、釜場に遊びに行っていた。 しかし、閉口したのは、彼が小学生の僕を相手に 小難しい社会問題の話を滔々とするし、愚痴はこぼすし、だった。 が、欠食児童だった当時の僕は、食欲には勝てなかった。 これも後で知った事だったが、彼は僕の4人の姉達の長女が目当てでもあって、 僕を可愛がってくれていたとの事だった。 姉は彼と結婚すれば絶対に幸せになっていたはずだった、 と今でも僕は思っている。 彼は、何年も姉のことを思い続けていたようで、 とうとう終生独身を通した。 彼は、途中で左官屋に転職し、僕を夏休みのアルバイトとして誘ってくれた。 当時としては大人並みの破格の日給だったが、 中学生の僕には仕事がきつく、 僕は2週間で過労で熱を出して寝込んでしまい、 アルバイトはそれでおしまいになった。 しかし、この左官の仕事の経験が 僕の日曜大工の出発点になっているような気がしている。 その後、彼とは、十数年、音信不通だったが、 姉との連絡は取り合っていたようで、 それが縁で、久しぶりに僕を訪ねてくれたが、 話の中身と話し振りは昔のままで、やはり閉口した。 が、今となっては懐かしい。 風の便りに、亡くなったと聞いた時には、 何だか、やたらと、とても悲しかった。 綱さんの人生は、しあわせだったのかなぁ? 今でも、彼のことを思うと、何故だか、胸がつまって、泣きたくなる。
人は、幸福を感じている時には、 生きる意味などは考えないらしいが、 必ずしも、自分が不幸だと感じたからと言って、 生きる意味を問うとも限らない。 俺の今は、 恵まれ過ぎているのに、 喜びも感謝も無い。 それは、自分も含めて、 人間の生きる意味が分からないから。 この疑問は、48年前から始まっている。 お袋が死んだ時に、 自分も死のうと思ったが、 その時に、 人間は、何時かは必ず死ぬのに、 何故、生き続けようとするのか、 と言う疑問に囚われて、 死ぬ事を延期して、 今に至っている。 お袋が死んだ15才の時から、 人間の生きる意味をを求めて 様々な本を読み漁った。 しかし、その結果は、目が悪くなるだけだった。 人間の意見に見切りをつけて、 神様なるものの意見を聞こうと、 神学校に入り、 聖書の研究をして、 牧師にもなったが、 答えは得られなかった。 結局、人間の存在の根源的な理由がまだ見つからない。 ハイデッカーの言ってる事にも納得はできない。 迷路に迷い込んだかもしれない。 あなたは、あなた自身の生きる意味を知っていますか? もし、知っていたならば、教えてください。
生まれつきアウトローの俺にとって、 権力などは、初めから、糞喰らえだったのだが、 組織の中に居た事もあって、 そこで、権力の凄まじさも思い知らされた。 権力に逆らうと、いとも簡単に排除される。 俺は60才になってから、 本格的に組織や官憲の権力に立ち向かって行き、 五度、排除された。 そのお陰で、今は、全くのフリーになれた。 だから、今、体一つで、俺を排除した奴らに、 思い知らせてやろうと思っている。 権力の弱点は権力そのものであるから、 無権力の者には、その力は及ばない。 柔よく剛を制す、無手勝流が一番。 この世のしがらみが全てなくなって、 やっと到達したした境地。 今、着々とその準備をしている。 乞う、ご期待。
留置場から出て、 自由になって、 自宅に向かう途中で、 自分の存在について考えざるを得なかった。 この世に人として存在している人で、 人として存在しないほうが良かった人はいるのか? 勿論、その様な人間の存在も認識してはいる。 だが、それが何故かは分からない。 人間の生命の根源な原因は何であろうか? 人は、何故に、生きたいと思うのか? それは、単に、死後の世界が分からないだけでしょう。 知ってる人は知っているのです。 死にたいと思う奴は、 生きていたくないから、そう思うだけ。 卑怯者だ。 人としてこの世に放り出されたならば、 人として生きていかなくてはならない。 その理由は分からない。 ぼくは、今、死にたいとも、生きたいとも、 思ってはいない。 ただ、死ぬまで生きるだけ。 でも、何かしたいな。
西村先生は都立高専の五年の時の担任の先生。電検一種の頭脳の持ち主。 彼の授業は、僕にはさっぱり理解できなかった。 それもそのはずで、僕は学校に殆ど行ってはいなかったのだから、 どうして卒業できたのかも、未だに謎の一つ。 今にして思えば、先生のお陰? 僕は、病気がちだった父親の家業を手伝うつもりでいたから、 殆どの学友達が就職を決めていた夏休みの頃を過ぎても、 就職は決まっていなかった。 そんな僕を心配して、先生は、後で断っても構わないからと、 某大手電気メーカーの受験を薦めてくれた。 断るのも悪いので、取敢えず受験をし、めでたく内定した。 これも今思えば、初めから先生と会社との話が付いていたのではないかと 思われる節もある。 先生の上司だった漆畑と言う電気工学の教授は、 モーターでは当時の学界の権威で、その会社の恩人だったのだそうだから。 因みに、この先生の授業も僕にはからっきしだった。 卒業直前にスキーに出かけ、一緒に行った子が大怪我をして帰れなくなり、 卒業式には出ずじまいで、“やっぱり、わきっちゃんは落第か。” と噂しきりだったそうだ。 僕の卒業証書とアルバムはどなたが預かって下さったものか、 未だに僕の手元には届いていない。今更ながらだが、 誰だか知らないが、早く返せー! 就職を決めた時に一番喜んでくださったのが、西村先生。 僕を銀座の超高級なレストランに連れて行ってくださり、 生まれて初めて見るものばかりの御馳走をしてくださった。 後で学友達から聞いた話だが、誰もそんなことはしてもらってはいない、 と非難轟々だった。 恩知らずな僕は、先生のお宅も知らず、年賀状も出さず、 今、御存命であるのかどうかも知らずだが、 もし、御存命でおられるならば、今更ながらではあるが、 是が非でも御礼に伺いたい恩人の御一人である。
中学三年の時の担任の先生が篠原先生。 結核持ちの国語の先生。 先生は何故か僕を気に入ってくれていて、 何かと世話を焼いてくれていた。 当時の高校進学率は50%余りで、 僕も就職組だと思っていた。 しかし、どうした訳か、僕の成績は抜群で、 常に学校のトップスリーの一人にいた。 僕の進学が難しいと知った先生は、 血相を変えて僕のうちに乗り込んできて、 とても結核持ちとも思えないような、 それまで見た事もない剣幕で、 僕の進学を家族に訴えてくれた。 そこで、20歳上の兄が、僕の進学を請け負ってくれた。 当時の僕は、大学なんぞは夢にも思っていなかったので、 当時、新設されたばかりの都立工業高専の電気科への道を選んだ。 25倍(40人募集のところに1000人が受験した)の難関をも、 びり(それも当然で、全国模試の東京都で2番なんて奴も受けていたのだから。) で突破して、都電と国電を乗り継いで、駅から20分以上かかる道を、 通学時間2時間以上かけて、毎日通った。 冬なんぞは朝星夜星の生活だった。 入学の年の12月に、母が急逝した。 僕は生きる気力を失い、死を決意した。 しかし、何故か、その時、既に早くもこの世を去っておられた、 あの時の血相を変えた篠原先生の顔が思い出され、 “人はいつか必ず死ぬのに、何で苦しみながらも生き続けているんだろうか” と言う迷路のような問が僕を捕らえ、いつの間にか、死ぬ決意は消えていた。 以来、僕はこの問の答えを求め続けて、学校そっちのけで、 日比谷図書館に通っては本を読み漁り、 教会に通い、社青研に通っては議論をし、 日比谷公園や山下公園や山の手線や奥多摩などの近郊の山の中で思索にふけった。 北アルプスの山の中で、それまで隠し持って歩いていた母の遺髪を 底の見えない谷の深みに投げ捨てたのは、19才の時だった。 あの時、何故捨ててしまったのかは、未だに謎のままだ。 仲間に後れて、一人で霧に包まれた深い谷底を見ていたら、 自分が飛び込みたくなった衝動を抑える為だったのかもしれない。 篠原先生にも会いたいなぁー。 |一覧|Recommend Item
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