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ケバル川のほとりで
僕は何も信じたことがなかった。神も仏も身内も他人も自分自身さえも、信じたことはなかった。 ただ、自分のしたい事だけをして生きていた。怖いものは何もなかった。恐れ知らずの恐ろしい子供であった。 牧 師 辞 任 辞任の羽目に陥った直接の原因は、泥酔して、メールで理事長に暴言を吐いたことであった。理事長は怒り、理事会を招集し、ぼくの審査会を実施した。下館に赴任して、すぐに、酒で問題を起こし、理事会の審査会で、酒で再度問題を起こしたら辞任すると約束をしていたので、辞任はすぐに決まった。 問 題 の 所 在 ぼくの性格が牧師に適していなかったとしても、ぼくの心に神学校入学の希望を抱かせてくださったお方は聖霊なる神様であったことを疑った事はないし、今もそうである。 牧師就任時、恩師であるマイヤー先生からいただいた御言葉は今でも忘れない。それは、「あなたがた(赤上さん)がわたし(イエス様)を選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。」との御言葉だった。 しかし、それにしても、ぼくには、牧師には適していない多くの性格的な問題があり過ぎた。その事に気づかされることになったのは、恥ずかしながら、牧師を辞して、何年も経った今頃である。 ぼくは、個人的な関心から、教育分析と言うものを2年間に亘り受けたことがあった。それは、プロのカウンセラーを目指す人が受けるべきカウンセリングの面接であったが、ぼくは、自分の性格の問題の所在を確かめるべく、それを受けた。それは、たまたま、日立に赴任している間に、茨城キリスト教大学のカウンセリング研究所の研究会に出席できる機会を得た事による事でもあった。 この分析で、はっきりされた事は、ぼくの性格が男根期自己愛性格者であるという事であった。僕自身も、そのことを事実として受け止めていた。しかし、問題は、その性格の問題点をできるだけ克服すると言う努力を怠っていたため、この分析の成果を生かすことはできなかった。どうも、いつも、詰めが甘いようで、これも、男根期自己愛性格者の欠点であるのかもしれないが、これを言い訳にする事はできない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.06.14 10:32:34
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