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2011年06月27日
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命に反対するユダヤ人

聖書は人間の魂について述べています。般若心経は現世の人間の考えを否定しています。常識ではない上智によって見る。般若心経の上智と聖書の信仰は同じレベルの認識であって、般若心経が分かってくると聖書が分かるのです。聖書と般若心経は本質的に非常によく似ているのです。
般若心経は生きている人間に向かって呼びかけている。聖書は皆様の魂に呼びかけている。ここが違うのです。
イエスの復活の命が自分の命だということが分かるまで、聖書を読んでいただきたいのです。神はイエスを復活させたことによって、すべての人の命を新しく造り直した。これが新約聖書の一番大きいテーマです。これがキリスト教では分からないのです。
実は、世界に命は一つしかないのです。人間は百人いれば百の命があると思っている。これが常識です。ユダヤ主義の考え方です。
生まれた時の赤ちゃんをよく見てください。そこに本当の命の面影があるのです。皆様方がこの世に生まれてきた時には、本能的、先天性の命を持っていたのです。だから何とも言えない神々しさ、かわいらしさがあるのです。それが皆様の本当の命の姿なのです。こういう気持ちになれば、イエスの復活の命がすぐ受け取れるのです。
こういうことは、できるだけやろう。できたらするという問題ではありません。できようができまいが、どうしてもしなければならない問題なのです。
皆様の命は、この世で生活するためのものとは違います。この世で生活をしてみた所で、必ず死ぬに決まっています。結婚をしても、子供を生んでも、ただ死んでいく。それだけのことです。これが文明の考え、ユダヤ人の考えです。
死なない命はどこにあるか。人間が生きていることの実体は魂です。この意味をよく弁えると、イエスの行き方と同じ生き方ができるのです。ここへ行き着くしか方法はないのです。これが死なない生き方なのです。
釈尊は、人間の考えは空だとはっきり言い切った。その証拠はどこにあったか。明けの明星を見たからそう言えたのです。明けの明星が今の仏教では分からないのです。これが説明できる坊さんがいないから困ったものです。
明けの明星は太陽が出る前の星です。明けの明星の次は、太陽が出るに決まっています。人間が生きている世界は太陽が出る前の世界であって、やがて太陽が現れてくる。今生きている命は空なのだということが分かったのです。これは釈尊の偉大な発見です。この釈尊の悟りが、日本には全くありません。本当の空が日本人には分かっていないのです。
成仏が仏教の終点です。仏になるというのは、今の人間が消えてしまうことなのです。ところが、仏教を信じている人が、全然成仏していない。これが日本に本当の悟りがない証拠がないのです。本当の悟りがあれば、自分の気持ち、自分の立場を強調しなくなるのです。そしてイエスが自分の本体であることが、分かってくるのです。
イエスはどこにいるか。皆様方の生まれながらの赤ん坊の姿がイエスです。イエスは私は赤ん坊だと言っています。赤ん坊だから本当のことが分かるのだと言っています。三十三歳のイエスが、自分のことをベビーだと言っているのです。一度大人になった人間が、赤ん坊である自分のことが分かりますと、本当の命が分かるのです。
生まれたての赤ん坊は、理性の使い方が分かりませんから、成仏することができませんけれど、大人の皆様には理性の使い方が分かっていますから、成仏できるのです。成仏するためには、般若心経が一番薬になるのです。
「仏とは誰が言いにけん玉の緒の、糸のもつれの仏なりけり」という歌があります。玉の緒のもつれというのは、人間の命がもつれていることを言うのです。それを解いていくのです。仏になるというのは、自分の思想や、自分の経験、自我意識が解けてしまうのです。これを究竟涅槃と言います。究竟涅槃が分かりますと、イエスの復活が分かるのです。
人間の実体は固有名詞の人間ではありません。生まれたての赤ちゃんが皆様の命です。今まで五十年、六十年の間、この世で苦労してきたその頭で、生まれながらの赤ちゃんに帰るのです。そうすると本当の命が見えてくるのです。自分自身の本質が神の子であることが分かるのです。
これはできるだけやろうとして済ましておける問題ではありません。目の黒いうちに、分かるまで、とことんしなければならないことなのです。特に年配の方は頑張っていただきたい。若い人も、この先、三十年ある、四十年あると思うのは、油断大敵す。生きている命のことをもっと真剣に考えて頂きたいのです。
人間は現世で生活をするために生まれてきたのではありません。命を経験することによって、美しいとはどういうことか、おいしいとはどういうことか、魂とは何かを学ぶために生まれてきたのです。
それを学びますと、皆様は神の子としての自己自身を完成することができるのです。この世を去ってから、本当の仕事があるのです。天国へ行って昼寝をするのではありません。極楽へ行って遊ぶのでもありません。
私たちには大きな仕事が待っているのです。万物の長として、森羅万象を治めるため、神のヘルパーとして、神にかかわって宇宙を統率するために、現世で自己完成をしなければならないのです。皆様はイエスと同じ力を持っています。だからイエスの復活を受け取ることができるのです。ただ素直になればいいのです。



イエスの十字架を否定するユダヤ人

十字架を正確に、聖書どおりに見ていきますと、死ななければならないと思っている皆様は、すでに死んでいることが分かるのです。
もう一度言いますと、今の人間は死なねばならないと思っています。なぜ死なねばならないかと言いますと、現在肉体的に生きている命を、無条件で認めているからです。ところが肉体的に生きている人間は、未完成の人間です。本当に一人前に命を認識しているのではないのです。
死にたくないと思いながら、死ななければならないと思っていることは、その人の内に、命に対する根本的な矛盾があることを示しているのです。
聖書で言う肉の思いで生きている人間は十字架によって全部消えてなくなっているということが、なかなか分からないのです。
キリスト教の牧師がこれを知らないのです。これは新約聖書にはっきり厳命されていることですが、キリスト教ではそれを言わないのです。人間が死んでいると言いますと、誰も教会へ来なくなるのです。だから教会でははっきり言わないのです。とにかく十字架の意味が、全く否められてしまっているのです。
十字架の言葉という文字が聖書にあります。なぜ十字架という言葉を使うかと言いますと、これは神の処置だからです。神の側から提出した独白の思想であり、神の言い分なのです。
例えば太陽が輝いていることが神の言葉になるのです。地球が自転、公転していることも、神の言葉になります、皆様の心臓が動いていることも、神の言葉になるのです。命の現れは、すべて神の言葉の現れなのです。
十字架によって、肉体的に生きている人間が抹消されたことを理解することは、普通の人間ではなかなかできません。十字架を日本人的な立場から認識するためには、その前提として、般若心経に徹していただくことが一番良い方法だと思われます。五薀皆空、色即是空、究竟涅槃を冷静にお考えになれば、肉体的に生きている人間がいないということが、おのずから認識されるでしょう。
五薀皆空、究竟涅槃を体得しますと、この世に生きている人間は、実は生きていない。別のものが生きていることが分かるのです。
今皆様は自分が生きていると思っていらっしゃいますが、その自分はいないのです。生きていらっしゃるのは自分ではなくて、別の人間です。これが十字架という驚くべき神の処置なのです。
自分はいない。自分がまだ気がつかない他人のような自分が、本当の自分なのです。これを知るためには、十字架の言葉を充分に認識する必要があるのです。
神というのは非常に心安いものでありまして、皆様がお天道様とおっしゃっているもの又お蔭様とおっしゃっているものです。
お蔭様とは誰のおかげでしょうか。お天道さんというのは何でしょうか。お天道さんが日本人に分からないのです。日の出の時に手を合わせて拝んでいますが、ご来光とはどういうことか分かつていないのです。これを聖書が教えているのです。
聖書の神は、お蔭さんの神です。お天道さんという言い方は非常に俗的な常識人間の立場から神を見ているのです。間違っているのではないのです。俗的な立場というのは、自分自身の思惑で勝手に見ているのです。
本当の神とは何か。お天道さんがお天道さんであるいわれは何か。お天道さんが地球を造っているとはどういうことなのかということを、精密に論証しているのが聖書です。
日本人が公明な気持ちで聖書をご覧になれば、聖書の一句一句から驚くべき命を汲み取ることができるのです。
死ぬべき人間はもういないのです。現在生きている人間は、イエス・キリストの復活によって死なない人間になっているのです。人間が死ななくなってから、二千年にもなるのです。
キリスト紀元というのは、人間が死ななくなった歴史の年号です。キリスト教ではこが分かりません。全く分からないのです。
色即是空、空即是色という言い方は、人間の悟りです。人間が人間自身を見た悟りであって、神から認識されていないのです。人間が人間の立場から考えますと、堂々巡りになるのです。
こういう点が、般若心経の足りないところなのですが、この点以外には、般若心経にはすばらしい思想があるのです。聖書に現れていない言い方を、般若心経はどんどんしているのです。これは東洋人の宝物です。
現在の世界歴史は根本から間違っています。このまま進んでいけば、世界は大混乱に陥るでしょう。この大混乱から逃れるためには、般若ハラミタという考えが、天使のシグナルになるのです。現代文明の欠点を見事に覆いつくすような輝きを持っているのです。
私たち日本人が般若心経の真髄に徹すると共に、欧米人に般若心経の原理を提示するべきです。特にユダヤ人に分かってもらいたいのです。ユダヤ人が考えを是正すれば、世界は見事に立ち直るのです。
般若心経の価値、十字架に現れている神の処置には驚くべきものがあるのです。






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Last updated  2011年06月27日 20時17分28秒
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