カテゴリ:噺家の落語とボクの人生落伍記
太宰治『富嶽百景』
私が、その峠の茶屋へ来て二、三日経って、井伏氏の仕事も一段落ついて、ある晴れた午後、私たちは三ッ峠へのぼった。三ッ峠、海抜千七百米。御坂峠より、少し高い。急坂を這うようにしてよじ登り、一時間ほどして三ッ峠頂上に達する。蔦かずら掻きわけて、細い山路、這うようにしてよじ登る私の姿は、決して見よいものではなかった。井伏氏は、ちゃんと登山服を着て居られて、軽快の姿であったが、私には登山服の持ち合わせがなく、ドテラ姿であった。茶屋のドテラは短く、私の毛脛は、一尺以上も露出して、しかもそれに茶屋の老爺から借りたゴム底の地下足袋をはいたので、我ながらむさ苦しく、少し工夫して、角帯をしめ、麦藁帽をかぶってみたのであるが、いよいよ変で、井伏氏は、人のなりふりを決して軽蔑しない人であるが、この時だけは流石に少し、気の毒そうな顔をして、男は、しかし、身なりなんか気にしないほうがいい、と小声で呟いて私をいたわってくれたのを、私は忘れない。 毛脛を見せたドテラ姿からは歌舞伎に出てくる石川五右衛門を連想します。 そんな姿で山を登る姿に、人の身なりのあれこれ言わない井伏鱒二さんも、 たまりかねて「身なりなんか気にしない方がいい」と仰った。 気になって仕方がなかったでしょう。これ以上の言葉はありませんね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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