新『ぼくの細道』二十回
太宰治『富嶽百景』を読む 十三回 富士が、よかった。月光を受けて、青く透きとおるようで、私は、狐に化かされているような気がした。富士が、したたるように青いのだ。燐が燃えているような感じだった。鬼火。狐火。ほたる。すすき。葛の葉。私は、足のないような気落ちで、夜道を、まっすぐに歩いた。下駄の音だけが、自分のものでないように、他の生きもののように、からんころんからんころん、とても澄んで響く。そっと、振りむくと、富士がある。青く燃えて空に浮かんでいる。私は溜息をつく。維新の志士。鞍馬天狗。私は、自分を、それだと思った。ちょっと気取って,ふところ手して歩いた。ずいぶん自分が、いい男のように思われた。ずいぶん歩いた。財布を落とした。五十銭銀貨が二十枚くらいはいっていたので、重すぎて、それで懐からするっと脱け抜け落ちたのだろう。私は、不思議に平気だった。金がなかったら、御坂まで歩いてかえればいい。そのまま歩いた。ふと、いま来た路を、そのとおりに、もういちど歩けば、財布は在る。ということに気がついた。懐手のまま、ぶらぶら引きかえした。富士。月夜。維新の志士。財布を落とした。興あるロマンスだと思った。財布は路のまんなかに光っていた。在るにきまっている。私は、それを拾って、宿へ帰って、寝た。 富士に、化かされたのである。私は、あの夜、阿呆であった。完全に、無意志であった。あの夜のことを、いま思い出しても、へんに、だるい。 太宰治は、青く光る富士に圧倒され、妄想の世界の人になっていたのでしょう。 世間で言う、狐に化かされていたのです。 鬼火、狐火、蛍、ススキや葛葉に取り囲まれ、舞台の小道具は整いました。 だから維新の志士とか鞍馬天狗と思ったりしたのです。 財布を落としたと言われましたが、実際はちゃんと懐に在ったと思うのです。