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テーマ:政治について(19913)
カテゴリ:格差社会
数日前のアサヒにこんな趣旨の投書が載っていた。
バブル期に大学を卒業し、数社の内定をもらって就職した息子。 その後、5年内に二度の転職を経て、やがて失業、零細企業就職。 そして今では派遣社員をしているが、一人では生計をたてられず、親の年金から息子の社会保険料などをだしているのだという。 こういう話がどの程度一般的かはわからないが、ただ周囲をみまわしても親が30歳代、40歳代の息子の生計費を支援している例はけっこうあるように思う。 ※ 機会の平等はたしかにかなり実現した。 ただその機会の平等は、下から上にあがる機会と同時に、上から下に転落する可能性ともセットになっている。 よいとか悪いとかではなく、以前は貧困は生まれながらの「階級」とは密接に関連していた。 極端な貧困はやはり貧困家庭に生まれた者の問題であって、中産階級で私大まで出してくれるくらいの経済力ある親の下に生まれれば貧困など関係ない・・・なんとなくそんな雰囲気があったように思う。 でも、今やネットカフェ難民やホームレスに大卒がいたってたぶん誰も驚かない。 いや、それどころか少々経済力ある親に扶養されているが、親が老齢になったり死亡したりすれば、あっという間に転落しそうな膨大な数の貧困予備軍もいそうである。 かっての貧困というのは、子沢山や老親の扶養、妻の病気などの扶養負担とセットになっていた。そうでなくとも、ギャンブルや飲酒など本人に責任のある面もあった。 30代、40代の健康な男性が家族ももたず、普通に働いて、飲む打つ買うに溺れてもいないのに、自分の生計費すらも稼げない。 こんなタイプの貧困は、もしかしたら平成の今の時代になって初めてあらわれたものかもしれない。 しかも、その貧困の淵には、誰がいつ転落してもおかしくない。 どうしてこんな社会になったのだろうか。 膨大な非正規雇用者を生み出した労働法制の規制緩和や低すぎる最低賃金、形骸化した社会保障などがその原因だとしか思えない。 市場原理主義路線から舵をきりかえて格差是正の方向にすすまないと、本当に大変なことになりそうである。 ※ 冷戦が崩壊し、共産主義革命の脅威がなくなってから、市場原理主義のゆきすぎがめだってきたように思う。 市場原理主義の毒を中和するには共産主義の脅威もやはり必要だったのではないか。 ちょうど強酸の毒を中和するには強アルカリの毒が必要であるように。 言ってしまえば、今の時代こそ共産主義をかかげる政党の躍進が必要だし、共産主義思想自体も再評価されるべきである。 貧困者やその予備軍に対し、負け組、自己責任、スキルがないと嘲笑するのではなく、そうした人々に誇りを与え、社会変革を説く政治勢力が現れたら、きっと大躍進する。 もちろんその場合は地主や工場主だけが強者だったようなふるい階級観とは決別する必要があるし、犯罪被害者よりも加害者の人権が大事のようなうす甘サヨクとも一線を画す必要があるのだが。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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