ときどき訪問する某ブログだが、特に下記の記事が面白い。
http://sinzinrui.blog.fc2.com/blog-entry-4429.html
浄土宗の総本山で「みなごろし」の貼り紙…こんなことがあったのも驚きだが、この「事件」の報道が新聞やテレビで控えめなのはやはり宗教タブーがあるからか、と余計な推測。
宗教については無信仰を自認する人も多いが、人間が死すべき存在であり、世の中は不条理に満ちている以上やはり宗教は必要なものではないかと思う。どうせ人智には限界があるし、凡人にとっては特にそうだろう。宗教と言う補助線を引くことで、人生は少し生きやすいものになるのならそれも結構ではないか。かといって人の弱みにつけこんで金を奪う、ときには人生を根こそぎ破壊するような宗教がよいわけがない。そのあたり、一応伝統宗教と言うのは、そこまでの強烈な副作用もないし、よいではないかと思うのだが。
だから、この間の富岡八幡宮の事件もそうだが、伝統宗教の世界でこんなことは起きてほしくない。
浄土宗の総本山の「事件」もさることながら、記事の後半のたとえが面白い。
このブログ作者はどうやらサヨク嫌いの「ネトウヨ」を自認しているのだが、正直、現在の政治状況についてはこのブログ作者に同意する。
つまりこういうことだ。
ある島の住民は3割か4割程度の人しか靴を履いていない。
そこに靴屋がやってくる。靴を履いていない人が6割もいればさぞや靴 は売れるだろう。ところが靴はさっぱり売れない。それもそのはず。靴屋は、靴を履いていない奴らは意識が低いとか言って、上から目線でバカにするだけで、裸足の人々が欲しい靴を売る気がないからである…とそういうこと。
以下はご希望どおり?の政治ネタになるが、続きを書いてみる。
裸足の人々に靴を売りにきた靴屋さんは「お花畑靴屋」さんと「化石靴屋」さんでした。
「お花畑靴屋」さんは目のうるうるしたおばさん靴屋、「化石靴屋」さんは勉強好きそうな老紳士。二人とも「可哀そうな裸足の人々」を目覚めさせてあげることに篤い使命感をもっていました。
二人は言いました。
憲法9条を守り抜き、核廃絶を断固として主張します。
裸足の人々は思います。それって俺たちの生活とどんな関係があるの?辛い仕事、貧しい暮らし、希望のない人生をなんとかしたいのに…。
お花畑靴屋さんは言いました。
死刑制度は残虐な刑罰で廃絶すべきよ。少年犯罪は厳罰だけでは解決しません。女性差別も大問題、女性が活躍すればもっともっと社会は良くなるわ。
裸足の人々は思います。私の通っていた中学では不良グループが恐喝をよくやっていたけど、先生も警察もなにもしてくれなかった。今いるところの上司は女性で、エリートらしいのだがパワハラがひどくて、「こ~のハゲ~」と仲間がこづかれたよ。
化石靴屋さんは言いました。
この間もマルクスを読み返し、我々が前衛となって労働者階級を目覚めさせ、歴史を前進させていく使命を再確認したよ。
裸足の人々は思います。労働者階級って誰のことだい。マルクスって、明治維新よりも前に活躍していた人じゃん。地主小作、工場主と労働者って…いったいいつの時代の話だよ?