日本三大随筆の一つである枕草子は、当時の最上流の宮中生活を舞台にしたもので、面白いこと、楽しいことばかりが綴られ、興趣はつきない。けれども、その背景には、中宮定子が、後ろ盾となっていた父の死を契機として、次第に没落していく現実があった。師殿と呼ばれている中宮の兄もすでに失脚していて、太宰権師に左遷をされていたから師殿というわけである。いったいなぜ枕草子には暗い話がないのだろうか。高校の時の教師は作者は勝気だったからそういうものは書きたくなかったと解説した。それはそれで説得力があるのだが、それだけではないだろう。当時は紙は貴重品で、書かれたものは読まれることを想定していた。こんなに素晴らしい人たちがいた、こんなに興趣に富んだ世界があった…そうしたものを作者は世にのこしたかったのかもしれない。そしてまた、リアルタイムで綴られ読まれていたとしたら、明るい話を書くことで読者でもあった中宮を元気づけたいという願いもあったのだろう。
まあ、枕草子と比較するのもなんなのだが、日記のなかにも、楽しいことばかり書いてあるものもある。これもやはり、日々の生活の中での楽しみを書くことで生活を豊かにしていきたいという思いがあるのかもしれない。いずれにしても日記やブログに書いてあることだけがすべてではない。
楽しいこと明るいことを書けば、日々の生活も明るくなる。
辛いことや悩みを書けば、それはそれで心が落ち着くということもある。
どちらに重心を置くかは人それぞれだろう。
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