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時代や生活環境によって障害の定義は違う。
極端な話、人類の祖先が樹上生活をしていた頃なら木登りができなければ、それは間違いなく障害者だし、生きていくのも難しかっただろう。そして人類が樹上生活を止め、様々な場所で生きていくようになれば、それによって求められる能力も違ってくる。近眼など現代生活ではさしたる障害ではないのだが、狩猟や牧畜で生きてゆくような社会だったらこれも立派な障害である。 こうして時代の変化によって、かって障害とされたものが障害ではなくなり、かわりに新しい障害の定義がでてくる。最近、アスペとか発達障害などという言葉をきくが、これも、少し前にはなかった言葉である。 出現率が高く、しかも治療法がないとなると、こういうものってそもそも障害といえるのだろうか。 定義をみると、昔だったら「変わった人」というのはたいていこれに分類されるように思う。 確かにそうした人はその人なりの「生きにくさ」があったのだろうけど、じゃあ、障害の診断を下せば生きやすくなるのだろうか。どうもそうは思えない。むしろ学校や職場でアスペだの発達障害だのが、排除のためのレッテルに使われているのではないか。 推測だがこうした人々というのは「人物重視」の採用をすれば面接などでまっさきに落とされる人々である。就職できず、社会とのつながりを断っているうちに、ますます症状が亢進していくこともあろう。となると、しばらく前にはほとんど聞かなかったアスペだの発達障害だのという言葉が言われるようになったのは、就職できない人々、まあ、ありていにいえば面接で採用したくないような人々を「障害者」という枠でくくろうとする動きではないのだろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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