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カテゴリ:キリシタン
下郷町中妻にある中ノ沢観音堂です。南山御蔵入三十三観音の 十一番札所になっています。このお堂、中妻の村からはお堂の後 ろの小高いところが邪魔して見えません。 そして、このお堂は下郷町教育委員会の説明板には「室町時代 初期を降らない」とされていますが、室町時代にこの周辺の村々 があったとは到底考えられません。江戸時代中期になって堰が出 来るまでは米作はまったく出来なかったところです。村人もそれ をご存知です。かといって、所謂「山仕事」をしていた村である とも思えません。堰は農業用であると同時に、上水としても用い られていました。つまり、堰が出来るまでは水もなかったという ことになります。地形的にも井戸を掘ることは難しかったのだろ うと思われます。 また、同じ説明板には「中ノ沢観音堂は、大同二年(西暦807 年)会津仏教の始祖徳一上人によって寺院が開かれたと口碑に残 り、降って寛永年間この地にあった真言宗中沢山正光寺が廃絶し たと新編会津風土記お享和三年、西暦一八〇三年編)は伝えてい る」と記されていますが、徳一が開いた寺が何故真言宗に転宗し たのかが判りません。そして、この観音堂が立っている場所は、 それ程広い場所ではありません。村の南側の山にある沢の中にあ ります。また、これは単純なミスだと思いますが『新編会津風土 記』が編纂完了したのは、文化六年(1809)です。 今夜もこれで寝ます。明日には、論文を完成させて発送したい と思っていますが、ダメなときは明日は徹夜しても完成させます。 そして、明後日、車で届けます。年と共に内臓の機能が衰えると、 20代の時のよりも時計の針が進むのが早くなってしまいました。 皆さん、若いうちに頑張って下さい。では、おやすみなさい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.10.28 23:07:56
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