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カテゴリ:キリシタン
【旧高遠藩領内のキリシタン方位角】 旧高遠藩領内のとある村にある日蓮宗のお寺です。方位145度方向に向けて建てられています。沢沿いにあるお寺なので、この場所に建てるとこの向きになるかなと思われますが、ここに建てたので偶然この向きになったのか、それともこの向きに建てるためにこの場所を選んだのか。 会津にあるお寺やお堂、あるいは神社の向きを考えると、小生は後者を選ばざるを得ません。そしてこの沢沿いには、お寺を建てられそうな場所はいくらでもあります。京極高知が飯田城主だった時には、高遠がキリシタンの拠点であったのですから、こうしたことがあっても不思議ではないだろうと思います。そして、旧高遠藩領内にはキリシタン方位角を向けて建てられているお寺が数多くあります。 そしてこの向きに建てられているお寺は、信州では、伊那谷や旧高遠藩領内だけではありません。かなり広範囲に分布しています。福島県でも、会津だけではないのと同じです。中通り地方にもキリシタン方位角を向けて建てられているお寺やお堂、あるいは神社があります。皆様も、毎日の通勤や通学時に見かけるお寺やお堂、あるいは神社などを気にしてみて下さい。会津若松市街地では、この向きに建てられている「お稲荷さん」がかなりありますし、「北向き稲荷」というのを聞いたことがある方は大勢いらっしゃるのではないでしょうか。 道路に直角の方向でお寺を建てると、キリシタン方位角を向くことになる道が会津若松市街地には多いのですが、会津若松市街地の町割り(道路整備・宅地整備)が行われたのは、蒲生氏郷があの領主だった時です。と同時に、蒲生氏郷の時代には既に、会津若松市街地の東西に走る道路には、真ん中に水路が造られていたと考えられます。鍋釜を洗ったり、洗濯をしたりする、中水道として利用されていました。明治時代初期に、荷馬車の通行に不便なために、道路の両側に側溝が造られてしまい、会津若松市街地でそれが残っているところはありませんが(旧花春酒造の前の道にある水路はその名残かもしれません)、古い城下町などには、現在もそれが残っているところがありますし、下郷町の大内宿には、現在も2本の中水道が残っていて、綺麗な水が流れています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.08.08 21:29:03
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