前の日記の続きです。
このとき信長は明智光秀と京で合流し秀吉の加勢に行くはずでした。
まさか
自分が襲われるとは思っていなかった、とする説があります。
信長が好んだ小唄があります。
♪~死のうは一定、しのび草には何をしよぞ、一定かたりをこすよの~
(必ず死ぬのだから、しのび草には何をしようか。みんな、きっと思い出し、話の種にしてくれるだろうよ)
彼の生き様に400年経った今も皆が関心をよせているのですね。
大きな偲び草の種を彼は蒔いたのでしょうか。
完
お知らせ
皆様のコメントをいつも楽しく拝見させていただいています。
中でも、先日の“江戸っ子”と“文具の思ひ出”に素敵なお話をたくさんいただきました。
二、三日後に、二つを分けて幾つか発表させていただきたいと思っています。
不都合な方はBBSに書き込んでいただければ取りやめたいと思います。
皆様のご協力をお願いいたします。
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観世流二十五世宗家観世元正監修::観世流謡曲名曲撰(六)敦盛/賀茂