高山彦九郎炸裂☆
吉田松陰のファンは多いと思います。自分も好きです。松陰の名前の由来はご存知でしょうか?☆☆☆今いろいろあって太田市のアパートに引っ越してきて暮らしています。近所になにかないかなと探してみると。めちゃめちゃ近くに歴史上の人物の記念館がありました。そういえばあったなぁ・・・っていう感じでした。寛政の三奇人て受験でやったじゃないですか?前方後円墳と名付けた蒲生君平もその一人でしたよね。三奇人の一人が「高山彦九郎」です。尊王思想家です。受験で名前を覚えた程度で、詳しくはまったく知りませんでした。記念館に入っていろいろ眺めると13才で太平記を読んだとか、その影響を受けて尊王思想を持ったとか。いろいろ書いてあります。ていうか、寛政期に尊王思想かぁ・・・早いなぁ・・・と、アホな頭で考えていたのですが。また、いつものように職員がやってきました。30分くらいですがイロイロ話をしてもらいました。入館料100円でこれだけ勉強できればラッキーです。やっぱりこの時期に尊王思想はやはり早くて、結局最後は自殺してしまいます。九州のほうで死んでいます。彼の墓石にはこう刻まれています。「松陰以白居士」。そうなんです。吉田松陰の名前の由来は高山彦九郎なんですよ。高山彦九郎の影響を受け松陰がああいう風な人になっていったのだとしたら・・・ある意味、彦九郎って凄くないでしょうか?彼の墓には松陰の弟子たちも多くお参りに行ったらしいです。松陰の弟子たちって凄い人たちばかりですけどね。彼らに慕われた彦九郎って凄いと思いました。ひょっとしたら太田の人間が歴史を変えているのかもしれないんだなぁ・・・などとぼんやり考えながら閉館時間までいました。記念館を出ると雨でした。さてとこれから仕事ですので行ってきまーす。