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2003年03月25日
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テーマ:戦争反対(1189)
カテゴリ:政治

この日記での『サイバーデモ→サーバーテロ』という発言に端を発し、BBSで論争が繰り広げられた(日記下部のBBS参照)。そして、そろそろワタクシも・・と思っていたら消化不良のまま幕を閉じた。

何だか形勢不利となった途端に将棋盤をひっくり返したような感じで残念な気がしたな。ワタクシは、もちろんこれを「サイバーテロ」だったと思っているが「サイバーデモ」だとする方の「論理的な」主張も聞いてみたかったのが本音だったんだよ。

さて、ここにある呼びかけ文句が『一人で何度投稿してもOK。何が起こるかは投稿数しだい。』・・明らかに呼びかけは「内容」ではなく「投稿数」なんだよね。これはもう歴然たる事実。ワタクシの主観ではないよ。

書いてあるんだから。

普通に読めば、文意からはそうとしか読み取れないでしょ。どんな思想を持った人であっても、普通の読解力があれば「投稿数」を呼びかけているな、とわかるもの。

数にモノを言わせようと呼びかけているわけでさ。受けた側は、心のこもった抗議内容になど目を通せるはずもないよね。内容を出来るだけ届けようと思えば、数を呼びかけている以上、時間をズラすことを考えるのが普通なんでさ。それなのに一斉に、出来るだけ負荷がかかるように扇動しているのは「テロ」と呼ばれてもしょうがないだろうってこと。

システムをダウンさせる(もしくは何らかの障害を起こさせる)事が目的だったことは明確だよ。「サイバーデモ」と「サイバーテロ」が似ていても、それが同じものだとはならない、としている方もいるけど、それはやっぱり詭弁なんだよね。これは「決め付け」なんかじゃなくて、様々な客観的状況が織り成すごく普通の思考プロセス。「何らかのシステム事故」=「抗議の大きさ」を演出したかったのだと考えるのが普通。

こう言うと、それは「あなたの主観だろう」と言われるんだけどさ。「そんな事態は予測できない」「そんな事態は期待できない」とも言うかもしれない。後述するように「結果的に何も起こらなかったじゃないか、テロではない」とおっしゃる方もいるのも事実。ただね、「予測できない」「期待していない」のであればサイバー○○など呼びかけるな、ってことでしょう。

サイバーデモをテロではないとする方に、前述の思考プロセスを翻すような論理を提示されたら、また「論理的に」解説してくれていたなら、もしかしたらワタクシも納得できたかもしれないのになぁ。

ちなみに、ワタクシと論議するのに本多氏を以って前提とするのは何の意味も為さないんでさ。それは一部の人(達)にだけ適用されるものであって、それを論拠とされても「だから、何?」である。「あ、そう。で?」ってこと。「この人がこう言ってたんだ」の「この人」が本多氏では普遍的ではないからなんだよね。本多氏はベーコンでもデカルトでも、ましてやソクラテスでもないんだから。

とあるBBSでは、「ここ(サイバーテロ呼びかけのHP)を読んだけれど賛同しなかったからメールしなかった。システムにも障害はなかったじゃないか。だからテロではない。」と主張する方もいたね。こういう方は、先に「テロではない」という結論があるから、何を言っても何をやっても「テロではない」だというね。

胸を張ってこれを「正当な抗議として呼びかけたんだ」と主張するなら、この結果を以って「日本政府の方針に抗議する人は少なかった」とするのが論理的帰結だろうって。もしくは「抗議の方法に疑問を持った方が多数だった」だろうって。

違うのか?

それならば、ある方が得意としている「論理」という土俵にあがって考えてみよう。論理の展開には「演繹法」「帰納法」とがある(他にもあるけど、それでなくてもおバカなワタクシ。一応これだけとしておかないと大変なので・・これでも結構大変なんよ)。

「演繹法」っていうのは、簡単に言うと結論を最初に決めてそこから「理性的に」推論していって結論付ける方法。「帰納法」とは、「経験をもとにして」結論を見出していく方法。「演繹法」は前提と結論から成るのに対し、「帰納法」はそれまでの経験から知識を得て、またそれを活用して経験をし知識を得て・・となる。

例を挙げると「全てのガングロは女子高生である」→「自分の娘達全員とも女子高生である」→「だから(自分の娘達は)ガングロなのだ」の場合、一見正しそうなこの論理も、最初の前提の「どこの女子高生もガングロである」という前提が間違っているから正しいとは言えないんだよね。だから、論理的に出した結論とは言えない。

上記に記したのは三段論法(大学時代の記憶を引っ張り出しているので間違いもあるかも)ってやつだけど、これを成立させるのは「全てのAはBである」→「全てのBはCである」→「よって全てのAはCである」でなくてはならないんでさ(否定の形もある)。

そもそも素人ながらに思うんだけど、「演繹法」と「帰納法」を対比させて位置づけることさえどうかと思っているんだよ。演繹法の2軸である「前提」と「結論」。この「前提」を、まずは「帰納法」で探らなきゃいけないんじゃないかってさ。何もないところから経験を積み重ね、それを知恵や事実として認定するから前提が出来るのではないか、とさ。

例えば、「テロではない派」の方々の意見を先の三段論法になぞらえると、「全てのサイバーデモは正当な抗議である」→「全ての正当な抗議はテロではない」→「よって全てのサイバーデモはテロではない」となり、一見正しいように思えるよね。でも、先述したように、前提が間違っていたら破綻しちゃう。ってか、

2番目しか合っていないじゃないか。

要するに、論理として成り立っていないわけでしょ。そして、ワタクシが思うに、この前提こそ帰納法で検証するべきで、「すべてのサイバーデモは正当な抗議」なのかどうかを勝手に結論付けちゃダメだろうって。勝手に設定したら論理じゃないだろってこと。大体、途中で否定が出てくる三段論法なんてあんまり聞かない(後述)。

演繹法は、どの事象に対しても懐疑的なところに立脚し、その後に普遍的事実を理性的に適用してくものなわけで、主観も客観的もない。事実のみ。これを厳密に解釈すると、前提がいきなりひょっこり設定される事自体おかしくないのか。「サイバーテロは正当な抗議だと思う」が前提でいいのか。検証する必要はないのかって思うんだよね。

前述したけど、「~でない」と結論付ける否定の形もちゃんとある。そして、否定の形には否定の決まりごとがあるんだよね。「全てのAはBではない」→「あるCはBである」→「よってあるCはAではない」だ。

これを前出の主張になぞらえると、彼らは9.11の自爆テロ行為自体は認めていないだろうから(これはワタクシの推論ですが)、それになぞらえて「全ての正当な抗議はテロではない」→「あるサイバーデモはテロである」→「よってサイバーデモは正当な抗議ではない」・・これなら成立する。あら・・

正当な抗議じゃないってなっちゃったよ、おぃ。

でもこれでいいかな、演繹法を尊重しているし。

演繹法って、物事を解釈する時に非常に有効な論法ではあるんだよ。ただ、考え方が演繹的でありすぎると、結果的に事実を見誤っちゃうというパラドックスに陥りがち。前提に振り回されて、あとは自説を補強するだけの材料を探し始める。いわゆる「真理」を追究することが出来なくなる。これが前述した「何を言っても何をやっても『テロではない』」ということに繋がっちゃうんだよ。

テロではないかもしれない、テロかもしれない、まだ議論の最初には結論は出ていないわけでしょ。そこで動かせない事実を検証するんでさ。経験則に沿って判断していく。簡単に言えば、帰納法と演繹法をからみ合わせながら展開していくことが大切なんじゃないかなって思うんだよ。

「真理」だの「演繹」だのって、言葉だけで遊んでいてもしょうがないと思うんだよ。


<参照ログ> 
『サイバーデモ』










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Last updated  2008年08月31日 00時41分34秒
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Comments

Ryuichi-Kawamura@ 著者からのコメント 5 利恵さんが偶然、川岸たちに出会うことさ…
クレーマー&クレーマー@ 鬼畜に死刑は絶対に必要!! 闇サイト殺人事件(2007年8月24日)の3…
とおりすがり@ コメント コメント test
街。@ Re[1]:罪と罰(01/22) >そーにゃさん いやぁ、久しぶりとか…
そーにゃ@ Re:罪と罰(01/22) お久しぶりです。 「罪と罰」と言えば…
街。@ >そーにゃさんへ こんにちは。いやいや、書きたい時に書き…
街。@ >たかやさんへ こんにちは。いやいや、もう書き込んだこ…
そーにゃ@ ご無事でよかったw 盛んにお書きになってた頃も、けっこう頭…
たかや@ 宅間の正義 はじめまして >死刑制度を反対してる…
街。@ >コアラのリボン222さんへ コアラのリボン222さん >こんばんは。 …

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