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カテゴリ:政治
いつかも書いたけど、自然のものをモチーフにした諺って「言いえて妙」ってのもずいぶんあるなぁ、とさ。ホントは、「木静かならんと欲すれども風止まず」と迷ったんだけどね。短い方を選んでみました。
さてさて、社民党土井党首は謝罪しながらも「これから一生懸命精進して・・」なんてすり替えに終始しちゃってるね。周囲はさ、今後あなた(や社民党)が頑張る事より今回の問題を解明する方を望んでると思うんだけどね。まぁ、論点を意識的にすり替えてる人もいれば、自分の器量の無さからどんどんズレてっちゃってる人もいたりで世の中おもしろいわけだけど。 で、一体この人は「何について謝ってるのかを把握してるんかな」なんて思ったりさ。ってか、前述したように、そもそも周囲は謝罪の言葉を要求してたのかとかさ。それが本質なのかなって。謝らせようという趣旨なんて全然なくて、その姿勢を問うてるのにいきなり謝られても 「無かったことにしたいんですか?」 ってくらいにしか思えなかったりさ。これで終わりにしたいってことですか?みたいな。どうも「謝罪=収束」を期待してるのかな、なんて邪推もしたくなるよね。やっぱり周囲としては、その謝罪に込められた裏側、言うなればスタンスの変化を感じたいわけでさ。それは、言い換えれば今後の言動や行動にも求められるというね。それらを通して周囲は判断していくわけでしょ。その時だけ謝罪の言葉を発信して、その後何も変わってなかったら やっぱり何もわかってねぇよ、コイツ って事になるわけだよね。こう思われたらとっても恥ずかしい・・ってかイタイ奴なわけでさ。それは、(謝罪行為やその内容も胡散臭いけど)「しゃーない、見守りましょう」って思った(譲歩した?)分、それが過大評価だったって後で気づかされると、自分の判断力(の拙さ)を問われたようで余計にムカつくんだよね。 「謝ったんだから」は、周囲にとって何の説得力もない って事をわかれって事でさ。実際のところ、いくら言葉を尽くしても、何度も何度も謝意を示しても、同じこと繰り返してたらただのバカなだけだもの。学習能力ゼロってか。いや、何について問われてるかを把握してないんだから、「学習能力」というものさえ当てはまらないというね。いっぱしの議論してるつもりなんだろうけど、スタンスがしっかりしてないと、傍から見てて「あぁ~ぁ、痛々しい奴だな」くらいの感想しか持たれないんだよね。 言葉尻に過敏反応してるから(または、そこしか存在意義がないから)、失言の揚げ足取り活動に終始するって事でさ。ほとんど政党として評価されてないくらいのレベルにまで来ちゃってるんじゃないかね。だから言ったのに・・単なる市民団体として活動したら?って。おっと、字面バカが読むと「(街に)評価なんてされようと思ってないのでは?」なんて言い出しかねないけど、その辺は文意を曲解してますんで・・と念のため。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008年08月31日 01時31分42秒
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