白人の墓場 アラビア半島
以前の日記にちょっと手を加えてリライトした。20年以上前の事を書いている。今は様変わりだろうと思う。■ 白人の墓場 アラビア半島イラクの対岸のアラビア半島にあるアラビア湾沿岸のUAE(アラブ首長国連邦)諸国・クエート、それに半島の大部分を占めるサウジアラビアなどは、昔は白人の墓場と呼ばれた場所である。それでも今は、オイルマネーのおかげで、冷房もあるし、海水の淡水化工場から水も来る。その水で草木を育てているから、以前はあり得なかった大雨などが、ときどき降るようになって気候が少し変わってきたようだ。ロータリーにある花壇などには、小鳥が来て鳴いていたりする。しかしここは、基本的に高温と湿気の世界。暑さのピークの季節では輻射熱もあって温度は60度近く、湿度は常時100%なんかになる。季節といっても hot・hotter・hottest の三つの季節しかない地域だ。ある時、日本からの出張者が、「ちょっと散歩してきます」とオフィスを出て行ったが、まもなく顔面蒼白でヨロヨロと帰ってきた。近くのスーク(市場)へ行っただけなのに・・・である。やはり出張者がゴルフ上へ行き、たった5ホール目で倒れて救急車が来た。共に日射病。このゴルフ場とは、ラクダレースのレース場にあるもので、もちろんグリーンなどない。UAEからエジプトのカイロに出張することがあった。おかげでピラミッドを見ることが出来、大きな感動を得た。そのカイロからUAEに帰ってきた時、飛行機の出口に並んで扉が開くのを待っていた。扉が開いた瞬間、手の平に異変が起きた。瞬間に手の平がニチャッとしたのだ。何が起こったのかその時はよくわからなかったが、今まで着ないで乾燥していた手の平が、UAEの100%の湿気で瞬時にベタベタになったのだ。これにはおどろいた。同じ中東のアラブ世界でも、これほどちがうのだ。車のボンネットで簡単に目玉焼きが出来る。・・・とよく言われるが、試した馬鹿はいない。うっかり車のボディーに直接さわると飛び上がるほど暑い。フロントウィンドーに覆いをかけておかないと、いざ車を使おうという時に熱くてハンドルが持てない。今は冷房のタクシーが多いかも知れないけれど昔はほとんど無かった。田舎に行ってボロタクシーに乗ると大変だった。窓から熱風が吹き込んで来て顔が痛いほど熱い。暑いのをがまんして、窓を閉めてゆでだこのようになりながらがまんする。それでも窓を開けるよりはましだからだUAEの中で一番大きな国であるアブダビの首都はやはりアブダビという。隣はドバイで、近くの半島はカタールで、対岸の島はバハレーンである。そこから車で二時間ほどの場所にアル・アインという町がある。アル(AL)というアラビア語の定冠詞は、スペイン語に入ってエル(EL)になった。アルコール、アルミなどのアルは、このアルである。アインというのは泉という意味。つまりアル・アインはオアシスの街だ。泉町という感じだ。しかし、中東でオアシスというのは特別の場所だ。唯一そこで人間がまともに生きて行くことができる場所だからだ。水があって一応畑も耕せるし、ヤシの木からナツメヤシの実も採れる。この町というか村というか、この場所に住む人々は海岸に面した新興都市である首都のアブダビに住む人々とはちがって,、かなり昔のアラブそのままの見かけの人々が多い。顔は渋を塗った銅の様に日焼けして、ひからびて、しわは深い。日本の漁師顔を極端にしたようなものだ。歯は何本も抜けている。今まで裸足で歩いていたから、足はかかとなどがカチカチ二硬くて、ひび割れていて、靴など要らない状態だ。足=靴 状態なのだから、靴の上に靴は履けない。だから彼らはほとんどサンダル履きである。アブダビのあるお客さんと話していておどろいたことがある。彼はその温厚な落ち着いた立ち振る舞いもあって、当然私より年上だと思っていたのだが、聞いてみると年令は私よりはるかに若いのだ。この激しい気候の中で肉体的には早く年をとってしまっている。今は舗装道路も完備して、車で片道二時間ほどで行き来できるアブダビとアル・アインの間だが、彼の昔話を聞くとラクダで2・3日はかかったという。運悪く、途中で砂嵐などに遭った場合は何日もラクダと共に砂の中で過ごしたという。ラクダの鼻の穴はこんな場合に備えて自由に閉じることができる。アラブ人のあの頭巾も砂嵐の時に顔を隠すためにあるのかも知れない。砂嵐というのが北の方から拭いてくる季節がある。黄色い砂を含んだ季節風だ。空も何もどんよりとした黄色にけむり、昼間でも車がライトをつけて走る。数日続く。本多勝一氏の「アラビア遊牧民」を数十年前に読んだことがあるが、ラクダにはその年令別で呼び分ける名前が数十あると書いてあった。日本の出世魚の呼び名など、せいぜい四つぐらいだろう。それに日本人は魚の名前を非常に多く知っているが、欧米人など(専門家の魚屋はのぞいて)5つも知っていればいい方だと思う。マグロ・イワシ・サバ・タラ・サメ・・このへん止まりなのではないだろうか?(サメとフカはどう違うのだろうか? いつもこの疑問が気にかかる)魚と言えば、とてもおかしい想い出がある。このアル・アインの田舎道を歩いてオマーンへ行ったとこのことだ。オマーンという国は先頃サッカーで日本と対戦したのでおなじみだと思う。この国は古い国でシバの女王がいた国とも言われる。ポール・ニザンの「アデンにて」という本があるが、このアデンがある国だ。首都はマスカットでマスカット種の葡萄はここが原産だという。ところでオマーンはアブダビから相当離れたところにある国だ。車で数時間かかる。それなのに歩いていけるというのは不思議だと思うはず。実はこのアル・アインのとなりにオマーンの飛び地があるのだ。同じ一つのオアシスの中にオマーンの飛び地があるのだ。昔はオアシスしか価値が無かったから、オアシスだけが領地として認識されていたのだと思う。途中の茫漠たる砂漠など領地にしても意味がなかった。ただし今は石油などが出て、砂漠も重要になった。アラブ諸国の国境線はなにしろ砂漠だからハッキリしない。目印になるオアシスなどから線を引いた国境線が多い。オマーンとサウディ・アラビアなどもこの近辺で国境線争いで小規模だが戦火を交えている。ところで、オアシスの田舎道とは牧歌的だ。道は田んぼのあぜ道程度だ。その道の脇にオアシスの水を導いた泥で固めた水路があって、まあ言ってみればドブ程度だが、その中を透明な水がチョロチョロと流れている。その脇にはヤシの木が並木道としてパラパラと植わっている。民家は泥の壁で囲まれている。そんな道を歩いてオマーンに行く途中、あるオッサンとすれちがった。ちょっと汚い目のターバンを巻いていて、何か大事そうに濡れた新聞紙を手に持っている。チラッとみると中身は小振りなアジ程度の大きさの魚が数匹だ。このオアシスの池で取れたものだろうか?一度、バハレーンのオアシスで大きな深い池を見たことがある。子供たちが飛び込んで泳いでいたし、魚もいるらしかった。オマーンに行ったら、飛び地は本当に小さな村だった。小さな小屋の郵便局でオマーンの切手を買って、アブダビ側に帰ってきたら、また例の魚のオッサンとすれちがった。オッサンは歩きながら、今度は何か落ち着かぬ様子でブツブツ口の中でいいながら地面をきょろきょろ見ている。何をしているのだろうと思ったがそのまま行き過ぎた。しばらくした道に、一匹の魚が落ちているのを見つけた。ちょっと砂にまみれているが銀色に光っている。「ハハーン これだ!」と思った。オッサンは自宅?に帰って新聞紙を開いてみたところ、魚の数が一匹少なかったのだと思う。あわてて落とした魚を探しに来たのだ。オアシスでは魚は貴重品なのだろう。教えてやろうと思ったが、オッサンがすぐには見つかりそうになかったのでそのまま歩いた。おかしい気持ちもしたが、オッサンを可愛くも感じた。