広島市民球場が来年3月、閉場する。
開場したのは1957年だから、
およそ50年にわたり市民やプロ野球ファンに愛され続けた。
この市民球場の開場と同じ時、プロとして選手経験がない、
ただの野球観戦好きだった、ある普通のサラリーマンが突然
スカウトに転身した。アマチュア野球が好きで、将来伸びそうな
選手を手紙に書いて広島球団に送付したことがキッカケだった。
木庭教(きにわ さとし)さんがその人。
広島カープの黄金時代を支えた伝説のスカウトマンが、
奇しくも球場の閉場の時と合わせ、この5月23日亡くなった。
(享年81歳)
これまで三村敏之、池谷公二郎、正田耕三
らアマチュア有名選手を獲得。
また達川光男、高橋慶彦、川口和久といった
「野に埋もれていた」無名選手の才能も見出した。
彼らは、広島カープ黄金時代の大看板に成長した。
ただ、木庭さんのスカウトとしての特徴は、
有名選手の獲得ではなく、達川や高橋らの例のように、
他のスカウトではなかなか見つけられない
潜在的な高い才能をもった選手を発掘する「眼力」にあった。
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ボクは数年近く前、『スカウト』(後藤正治著、講談社刊)
という書籍を読んで、木庭さんのことを知った。
中に、こんな件(くだ)りがある。
「木庭は小柄な人である。白っぽい半そでのポロシャツに、
白いソフト帽、肩から黒い大きなショルダーバッグを下げている。
それが、この季節のいつもの出で立ちである。
顔から首筋、それに半袖から出た腕は、擦り込んだように
日焼けしている」
「木庭が、慧眼の、第一級のスカウトであるのは間違いない。
ただし、”黙って見ればぴたりと当たる”という魔法を持ち合わせて
いるわけではない。事実、自信をもって入団させた選手の中に
大成しなかった選手もいる」
「ただ、いわゆる札束攻勢に手を染めたことは一度もない。
裏工作もまた、彼の好みではなかった。彼のスカウトとしての手腕は、
(人間性を含めた)選手たちの力量を測る眼が相対的に高いという
オーソドックスな部分にあった」
でも、いま情報網・交通網が発達し、木庭の得意とした「隠れた逸材」
など滅多にいない。だからプロ球団のスカウトに求められる要素は、
「どうやって選手を見つけるか」ではなく「(裏金を含めて)優良選手を
どうやって入団に結びつけるか」に移っている。
87年に広島カープを退団後、98年にスカウト業を引退するまで、
複数の球団を渡り歩いた。スカウトのありかたが変わる時代にあって、
木庭さんの真っ当なスカウト手法は、次第に輝きを失っていったように
見えなくもない。
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また今年も、高校野球・地方大会が間もなく開幕する。
ボクの趣味は「アマチュア野球の観戦」。
残念ながら、木庭さんのような「眼力」などまったく持ち合わせて
いるわけはないけど、ボクの好みである
「やたらに飛距離を出す打者」
「めちゃめちゃ速い球を投げる投手」
「キビキビした動きをする二遊間の選手」
を探しに、県営大宮球場のバックネット裏に通いたいと思う。
多く訪れるであろうプロのスカウトたちの横に陣取り、
木庭さんを偲びつつ、彼らの視線や会話に注目し、
木庭さんの真似ごとを楽しむことにしよう。
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