東京ビックサイト
1995年5月31日、青島都知事は「世界都市博覧会」の中止を発表した。臨海副都心の建設はバブル景気絶頂期の1989年から始まったが、その後バブル景気崩壊、開発計画の見直しを迫られていた状況の中、臨海副都心開発自体に莫大な費用が投入され、都市博を「臨海開発の起爆剤」として開催することに批判があった。1995年4月の都知事選では、「臨海副都心開発の見直し」「世界都市博覧会の中止」を公約に掲げた青島氏が、政見放送のみで目立った選挙活動をせず、組織の力を借りない状況で当選した。無党派層の力を感じた選挙であった。当選した青島都知事は公約通り、「世界都市博覧会の中止」を決定した。公共事業を止めることが難しいと思われていたが公約通り、「世界都市博覧会中止」を発表したことに驚きはあった。自分の一票で政治が変えられると感じた瞬間でもあった。しかし、その後、石原慎太郎氏が都知事に当選し臨海副都心開発は進められ、東京オリンピック2020を開催を経て現在に至る。臨海地区には色々な施設が建っているが、交通アクセスがいまいちである。これでよかったのか疑問が残る。東京ビックサイト。「世界都市博覧会」ではテーマ館として使用される予定だった。東京ビックサイト西展示棟からの景色。