今もそうかも知れないけど、歴史の授業の時、私が学生の頃は第二次世界大戦に
入るまでに「時間がないので、あとは自分で教科書を読んでおくように」と言われ、
先生からは殆ど何も教わらなかった。
なので
自分なりに教科書を読んだり祖父母から話を聞いて
「戦争って嫌だな」
「悲しいな」
時折、もし肉親が徴兵されたら・・・と想像し「うわ~」と頭を振って身震いした。
***********************************************************
壁新聞・・・今もあるのかな、歩道に掲示板ケースがあって、そこに新聞や広告が
貼ってあるヤツ。
1995年8月半ば、上海の街を歩いていると、壁新聞に
「抗日戦争勝利紀念日」
の文字が目に入った。
立ち止まって読んでみる。
次の新聞。
次の。。。
どれもこれも「抗日戦争勝利・・・」
何を書いてあったかは、もう覚えていない。
日差しがきつい中、壁新聞の前で1時間くらい、立ってた。
日本では「終戦記念日」
中国では「抗日戦争勝利紀念日」 *後に中国大陸では9月3日に改定された
立ち尽くしながら
『どんな気持ち?』
自問自答。
・・・・・・
何も浮かばない。
喜も 怒も 哀も 楽も、
何もない。
空っぽ。
何も知らなすぎて、
考えるまでに至らなかったのかもしれない。
でも、
私は日本人で、今、上海にいる、という事実。
急に怖くなって、慌てて周りを見渡す。
道行く人は、忙しそうに通り過ぎてゆく。
いつもの日常。
我に返った。
あ、そうか、
誰も私が日本人なんて知らないよ。。
*************************************************************
1991年の夏旅行で、豫園で買い物している時。
「日本人が中国語を話してるぞ!」と囲まれた事があって。
*まだ珍しがられた頃だったので。
片言の中国語を話す私に
皆、物珍しそうに色々話かけてきた。
見世物状態の中、愛想良く受け答えしていた私。
野次馬の中で一人だけ、雰囲気の違う人に気づいた。
灰色の服を着た白髪の、皺の多い、お婆さん。
私と目が合った時、顔を歪めて
「リーベンレン・・・」*日本人
と、吐き捨てて去った。
多分、戦争経験者だと思う。
その時は、とても悲しく感じた。 人気blogランキング