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2013年08月15日
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カテゴリ:平和
手塚治虫

8月15日。
何か知らないけれども、ラジオの中からボソボソボソボソと天皇陛下の声が聞こえてきます。
何を言っているのだかわからないけれど、
とにかく「全国民がんばれ」とでもおっしゃっているのだろうと思って、聞き流していました。

しかし、まわりがやけに静かなのです。
昼から鳥の声も聞こえないぐらい静かになってしまった。
これは何かおかしい。外に出てみたら、だれ一人歩いていない。
しーんとしている。異常なのです。

夕方になって、電車に乗って大阪へ出かけることにしました。
電車もガランとしていて、
ふだんはその時間は工場帰りの人がいっぱい乗っているはずなのに、
ほとんど乗っていません。
二、三人の人が話していることを聞いていると、
どうも戦争に負けたというようなことを言っているのです。

冗談ではない、ぼくは、日本が勝つと思いこんでいたのです。
いまから考えるとばかな人間だと思いますが、当時は率直にそう信じていたのです。


大阪に着きました。阪急電車の駅も焼け落ちて鉄骨だけになっています。
そこから阪急百貨店の下のホールに出ると、
なんと阪急百貨店のホールにシャンデリアの明りがパーッとついているのです。

それまでは灯火管制といって、夜になると電灯を消さなければいけなかったのです。
電灯を消さないまでも、まず黒いカーテンで窓をおおって、
電灯にも黒いシェードをつけて、
そのシェードから漏れるわずかな光で本を読んだりしていたのです。
そうしないと外から敵機に見つかってしまうので、灯火管制は常識だったのです。
数年間はそれで過ごしていました。


(昭和20年)8月15日の夜、阪急百貨店のシャンデリアがパーっとついている。
外に出てみると、一面の焼け野原なのに、どこに電灯が残っていたかと思えるほど、
こうこうと街灯がつき、ネオンまでついているのです。
それを見てぼくは立ち往生してしまいました。
「ああ、生きていてよかった」と、そのときはじめて思いました。
ひじょうにひもじかったり、空襲などで何回か、
「ああ、もうだめだ」と思ったことがありました。

しかし、8月15日の大阪の町を見て、あと数十年は生きられるという実感がわいてきたのです。
ほんとうにうれしかった。ぼくのそれまでの人生のなかで最高の体験でした。

そしてその体験をいまもありありと覚えています。
それがこの40年間、ぼくのマンガを描く支えになっています。
ぼくのマンガでは、いろいろなものを描いていますが、基本的なテーマはそれなのです。


つまり、生きていたという感慨、生命のありがたさというようなものが、
意識しなくても自然に出てしまうのです。
そのくらいショックだったわけです。
ぼくなりにそれが人生の最大の体験で、これを一生描きつづけようと心に決めたわけではありませんが、
とにかく描いているかぎりどうしても出てしまうのです。


(「ぼくのマンガ人生: ぼくの戦争体験」
手塚治虫・著/岩波書店 より)




…………………………………………


The Penelopesのwatanabe さんという方 ( @penewax )がTwitterで紹介してくださっている言葉をつなげてUPさせていただきました。






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最終更新日  2013年09月21日 21時42分32秒
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