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「日本国民救援会徳島県本部第48回大会」に昨日夫と参加しました。
大会議長を頼まれていましたが、「13時半までに来てください」と言われたので、13時過ぎに徳島駅前について夫がマスクを買っているのを待っていたらKさんから「13時半から大会が始まるけど着いている」との電話。 「13時半までに来てくれって言われたけど・・・」と言いながら、急いで会場へ行きました。 会場には参加者がいっぱい、事務局長から議長のシナリオを貰ってすぐに大会を始めましたので大慌ての私。 「ただいまから第48回徳島県大会を・・・」というところを「ただいまから第48回徳島県母親大会を」と言ってしまって大失敗でした。 13時半から16時半まで詰まった日程、来賓あいさつには今も「守大助さんを支援する徳島の会」の6人が参加して夫が挨拶と活動報告。その他5人の来賓あいさつもありました。 倉敷民商禰屋町子さんからのメッセージは私が紹介しました。その後、自著「『僕と啄木と憲法』を書き終えて」と題して林伸豪弁護士が40分話されました。 その後議案・新役員を承認して16時半過ぎに大会が終わりましたが、3時間半は休憩をとったとはいえ長かったです。 その後場所を変えて17時半から、某ホテルで行われる「林弁護士の自著『僕と啄木と憲法』出版を祝う会」に参加しました。 出版された本をいただいたおり、一晩で読み終えて感動を覚えたことを思いだします。 大会に参加した人を中心に参加者は25人程度、林弁護士ご希望の方・弁護士事務所で出版を手助けした事務員、もちろん蔭で支えた連れ合いのみす子さんも参加されていました。 サプライズでピアノとバイオリン奏者が心地よい音色を奏で会場は文化的な雰囲気で盛り上がりました。 参加者からのお祝いの言葉を受けた後、連れ合いのみす子さんから自分のお名前の由来や2人のなれそめが話されました。 また、林弁護士から謝辞の後自分の活動の原点(徳島大空襲体験・障碍者の友の死)が詳しく話されました。 私からも「46年前に『阿部・仁木解雇撤回裁判闘争』でお世話になったことを懐かしく思い出しながら本を読ませていただいた。 弁護士林でなく、多彩な趣味とやさしさを持った人間実のある暖かい人間林伸豪さんに会えました」と・・・。 少し残念に思ったのは、連れ合いのみす子さんのことを「林弁護士の奥さん」と言っていた人が多数いたことです。何でお名前を言わないんでしょうね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.10.24 22:48:22
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