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第7官界彷徨

第7官界彷徨

上野誠先生の万葉集その3

2012年2月12日
今週の、NHKラジオ第2放送、古典講読の時間、上野誠先生の万葉集は、家持の父の大伴旅人、その妹の大伴坂上郎女の歌でした。

 酒を讃える13首は、たいそう有名な歌なのだそうです。
 60代の半ばに太宰府に行かされたことが心外で、この歌を詠んだのかも。古くより男性たちがこの歌に自らを重ねていたようです。太宰治もこの歌が好きで、旅人の役職「太宰師」にちなんで、筆名にしたらしい。

太宰帥大伴の卿の酒を讃めたまふ歌十三首より
339番
*験(しるし)なき物を思はずは一坏(ひとつき)の濁れる酒を飲むべくあらし
341番  
*賢しみと物言はむよりは酒飲みて酔哭(ゑひなき)するし勝りたるらし(342)
(賢そうにもの言いするよりも、酒を飲んで酔い泣きする方がまだマシ)
344番
*あな醜(みにく)賢しらをすと酒飲まぬ人をよく見ば猿にかも似む(345)
345番
*価(あたひ)なき宝といふとも一坏の濁れる酒に豈(あに)勝らめや(346)
(一杯の酒を飲む時間は、何物にも代え難い) 
348番
*今代(このよ)にし楽しくあらば来生(こむよ)には虫に鳥にも吾は成りなむ
(今さえ楽しければ、来世は虫でも鳥でもいいさ!)
349番
*生まるれば遂にも死ぬるものにあれば今生なる間は楽しくを有らな(350)
(どうせいつかは死ぬ身だもの、生きてるうちは楽しくやろうぜ!)

 これは、実際に生きていれば人生は楽しいことばかりではないのだと、知っている人の哲学的な歌、なんですって!
 中国の老、荘思想の文献を旅人は読んでいて、その影響を受けていたと考えられる、そうです。

旅人にこんな歌も。
天平2年12月、太宰師の旅人が、京に帰って来るときに作ったうた。
446番
*吾妹子が見し鞆の浦のむろの木は常世にあれど見し人ぞなき
(太宰府に行く時に見た木は今もあるけれど、伴って行った妻はもういない)
449番
*妹と来し敏馬の埼を環るさに独して見れば涙ぐましも

451番
*人もなき空しき家は草枕旅にまさりて苦しかりけり 
(赴任地より家に帰ってきて)
452番
*妹として二人作りしわが山齋は木高く繁くなりにけるかも
453番
*吾妹子が飢えし梅の木見る毎にこころ咽せつつ涙し流る

 上野先生は、文学や思想の歴史は年とともに徐々に複雑になってくるという考え方があるが、そうは思わない。
旅人の歌を読むと、その考え方は今考えても納得できる思想に到達している、と、おっしゃっていました。

 次に、女性でも長歌を作り、万葉集に沢山の歌を残した、大伴坂上郎女の歌。
 郎女は、坂上(今の奈良市法蓮町北町」に住んでいたのでこう呼ばれているらしい。旅人の妹で家持の養育もしたらしい。

大伴坂上郎女の怨恨の歌一首 并せて短歌
619番
*おしてる 難波(なには)の菅(すげ)の ねもころに 君が聞こして 年深く 長くし言へば 真澄鏡(まそかがみ) 磨(と)ぎし心を ゆるしてし その日の極み 波のむた 靡く玉藻の かにかくに 心は持たず 大船(おほぶね)の 憑(たの)める時に ちはやぶる 神か離(さ)けけむ 空蝉(うつせみ)の 人か禁(さ)ふらむ 通はしし 君も来まさず 玉梓(たまづさ)の 使(つかひ)も見えず なりぬれば いたもすべなみ ぬばたまの 夜(よる)はすがらに 赤らひく 日も暮るるまで 嘆けども 験(しるし)を無み 思へども たづきを知らに 手弱女(たわやめ)と 言(い)はくもしるく た童(わらは)の 哭(ね)のみ泣きつつ たもとほり 君が使を 待ちや兼ねてむ(万4-619)
(恨みの歌として有名らしい。恨むほど愛している)
反歌
620番
*はじめより長く言ひつつ恃めずはかかる思ひに逢はましものか

 収穫の時期になり、奈良の邸宅から桜井市の領地に行かねばならなくなった郎女は、娘の大嬢に留守を任せます。
 当時は、稲が早稲、なかて、晩生と生育時期を分けてあり、稲刈りの期間が長かったらしい。娘の大嬢が留守を守るのに、心細いような手紙を寄越したらしい。
 それに答えての郎女のうた。
723番
*常をにと わが行かなくに 小金門に もの悲しらに 念へりし わが児の刀自を ぬばたまの 夜昼といはず 年ふにし わが身は痩せぬ 嘆くにし 袖さへぬれぬ かくばかり もとなし恋ひは 古郷に この月頃も ありかつましじ

反歌
724番
*朝髪の念ひ乱れてかくばかりなねが恋ふれぞ夢に見えける
(かわいい娘よあなたが私を恋しく思うので、あなたが私の夢に出て来たよ)

 万葉集は宅庄往来の文学とも言えるんだそうです。家と別邸をお使いが行き来して交わされた歌たちが残っているのですね。

 郎女は、娘の大嬢を甥の家持くんの妻にしたいと思っています。
 家持くんが遊びにきて、帰る時には、やさしい思いやりの歌を。
979番
*わが夫子が着る衣薄し佐保風はいたくな吹きそ家に至るまで

☆家族愛あふれる大伴家の人々の姿が読み取れるのも万葉集の魅力ですね。 

2012年2月19日
 今週のNHKラジオ第2放送、古典講読の時間の、上野誠先生の万葉集は、山上憶良と、高橋虫麻呂の歌でした。
 上野先生によれば、万葉集を好きな人のタイプは、自然詠が好きな「大自然派」と、大伴旅人や山上憶良などの考え方に共感する「人生探究派」に分けられるそうです。

 その代表の山上憶良は、
 701年に遣唐使となって一番下の位で入唐。
 707年に帰国。

 42歳で中国に行ってから出世をし、最後に貴族となります。
 最晩年、旅人と出会い筑紫歌壇と呼ばれた筑紫文学サロンを形成したのですって。

 特に有名な子どもを思う歌は、序文があって、
「お釈迦さまは、自分の子ども(らごら)のように衆生を愛するとおっしゃっているのだから、仏教では迷いはいけないというけれど、凡人の私が子どもを愛して何がわるい?」と。

802番
  *瓜食(は)めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲はゆ
  いづくより 来りしものぞ 眼交(まなかひ)に もとなかかりて
  安眠(やすい)し寝(な)さぬ(802)
反歌

803番  
*銀(しろかね)も金(くがね)も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも
(仏教の奥義を学んだけどたどりついたのはやっぱり家族への愛!)

 次の歌は、大宰府時代に大伴旅人の催した宴会の席上、中座する言訳に億良が即興に作った歌らしい。憶良は宴会も大好きだった。
337番 山上臣憶良が宴より罷るときの歌一首
*憶良らは今は罷らむ子泣くらむ其も彼の母も吾を待つらむそ
(70過ぎの憶良が筑紫に来て若い妻に子をもうけたのです!)

 天平5年3月1日、遣唐使に行くたじひのまひとが、唐に行った時のアドバイスを、遣唐使の先輩である山上憶良に聞いて来ました。
 3月3日に、憶良が歌で答えました。
(よその人の訳をいただきます)

894番・733年山上憶良の大唐大使丹比(たじひ)真人広成に捧げた歌)

*神代の昔より 言い伝えて来たことがある
この大和の国は 皇祖の神の御霊の尊厳な国
言霊(ことだま)が 幸をもたらす国と
語り継ぎ 言い継いできた
このことは 今の世の人もことごとに 目のあたりに見知っていますとも
大和の国には 人が満ちてはいるが
その中から 畏れおおくも 日の御子 すめらみこと(天皇)は
神さながらに ご愛顧のままに
あなた 丹比真人(たじひのまひと)広成様を
天下の政治をお執りになった 名だたる家系の子として
もろこしにつかわすつかいのかみ(大唐大使)に お取り立てになったので
あなたは 勅旨を奉じ 遠い異国である 唐(もろこし)へ発たれることになりました
そのご出発には 岸にも沖にも鎮座して 大海原を支配しておられる
諸々の大御神たちが 船の舳に立ってお導きになり
天地の大御神たち 中でも大和の大国御魂(おおくにみたま)は
天空を駆けめぐって お見渡しになり
任務を終えて お還えりになる日には
またさらに 大御神たちは
船の舳に御手をうち掛けて お曳きになり
墨縄を張ったように 真っ直ぐに
長崎の五島列島の 値嘉(ちか)の崎より
難波の 大伴の御津の浜辺へ
真一文字に 御乗船は到着するでしょう
おさわり(障り)なく お出かけになって
無事に お早くお還りなさいませ
もろこしにつかわすつかいのかみ(大唐大使) 
丹比真人(たじひのまひと)広成様よ
      
895番
*大伴の 御津の松原 かき掃きて 我れ立ち待たむ 早帰りませ
        
896番
*難波津に 御船泊てぬと 聞こえ来ば 紐解き放けて 立ち走りせむ
(すでに足が萎えて立てなかった憶良のおふざけ?)

次に、これも有名七草のうた。

1537番
*秋の野に 咲きたる花を 指折り(およびおり) かき数ふれば 七種(ななくさ)の花

  意味:秋の野にとりどりに咲く花を、指を折りながら一つひとつ数えてみると、
     七種類の花がありました。

1538番
*萩の(が)花 尾花 葛花 瞿麦の(が)花 女郎花 また藤袴 朝貌の(が)花
  
  読み: はぎのはな おばな くずはな なでしこのはな
       おみなえし また ふじばかま あさがおのはな

 軽妙洒脱、何かモダン、素晴らしいセンスですね!
 高橋虫麻呂の、浦島太郎もやってたけど、長くなるので、また明日!

2012年2月26日
 今週のNHKラジオ第2放送、上野誠先生の万葉集は、万葉集の基を残した大伴家持の私的な歌でした。

 他の人と違って、その歌が作られた時や場所が細かく書き残されているので、歌の背景がよく分かります。そして、有名な名歌が多い。
 710年平城京遷都された直後の716年に家持くんは生まれました。
 平城京の子どもであったのです。

1629番
大伴宿禰家持が坂上大嬢に贈れる歌一首、また短歌

  ねもころに 物を思へば 言はむすべ 為むすべもなし
  妹と吾が 手携さはりて 
  朝(あした)には 庭に出で立ち 夕へには 床うち払ひ 
  白妙の 袖さし交(か)へて さ寝し夜や 常にありける 
  あしひきの 山鳥こそは 峰(を)向かひに 妻問すといへ 
  うつせみの 人なる我や 何すとか 一日一夜(ひとひひとよ)も 
  離(さか)り居て 嘆き恋ふらむ
  ここ思へば 胸こそ痛き そこ故に 心なぐやと
  高圓の 山にも野にも うち行きて 遊び歩けど
  花のみし にほひてあれば 見るごとに まして偲はゆ
  いかにして 忘れむものぞ 恋ちふものを
(山鳥は向かいの嶺の妻に毎日会う事ができるのに、仕事が忙しくて会えないのが哀しい)

反歌1630番
*高圓の野辺の容花(かほばな)面影に見えつつ妹は忘れかねつも
(職務多忙の中で会えない妻へ)

4031番  酒を造るうた
*中臣の太祝詞言ひ祓へ贖ふ命も誰がために汝
(酒を作って神様に供え祝詞をあげて命の永らえることを祈る、誰のためでもないあなたのために)

家持くんは宴会でも多忙。
749年5月5日、東大寺の開墾地のおつかいと宴をして酒をおみやげに。
同じ月の5月9日、なでしこ館に同僚?を招いて宴。
 その折り、家持は百合の花で(かずら)リースを3つ作り、お盆みたいなお皿にそれぞれ乗せて奉った。そしてそれをテーマに歌を詠み合った。

4086番
*あぶら火の光に見ゆる我がかずらさ百合の花の笑まはしきかも
(灯火のに照らされて花が笑っているように見えるよ)

お友達のうた
4087番
*灯火の光に見ゆるさ百合花後も逢はむと思ひ初めてき
(当時の人は、ゆり、という言葉を「あとで」と聞いた、それにかけて、後でもまた逢いましょう)

お友達の歌に答えて家持くんのうた
4088番
*さ百合花後も逢はむと思へこそ今のまさかも愛しみすれ
(後に逢おうと思うからこそ、今の今から仲良くしようぜ!)
 と、フレンドリーな家持くんです。いい性格ですね~!

そして巻の19は、天平勝宝2年3月から5年2月までの歌が。家持くんの手記みたいな家持くん特集!
4139番   
*春の苑紅にほふ桃の花下照る道に出でたつ乙女

4140番
*我が園の李の花か庭に散るはだれのいまだ残りたるかも
(すももの落花かうす雪か)

753年2月23日に、興がのったので作ったうた
4290番
*春の野に霞たなびきうら悲しこの夕かげに鶯鳴くも
4291番
*わが屋戸のいささ群竹吹く風の音のかそけきこの夕べかも

2月25日 とても感傷的な家持くん
4292番
*うらうらに照れる春日に雲雀上がり情悲しも独りし思へば

 百合の花で、かずら(リース)を作り、酒客に出し、そしてまた百合には(のちのち)という言葉を彷彿とさせる要素があったなんて!
 心豊かな人だったんですね。


2012年3月18日
NHKラジオ第2放送、上野誠先生の万葉集は、第50回!宴会の歌でした。

 万葉集の歌からは、当時の人々の暮らしが分かるそうです。
 折口信夫や西郷信綱先生などは歴史社会学派と呼ばれるらしい。社会と文学の接点を考えていく学派らしい。

 万葉集の歌から、宴の様子が分かるそうです。うたげとは、「うちあぐ」。神を送る儀式を人が楽しむようになり、そこでは
「肴、美男、美女、歌、踊」
 が喜ばれ、興にのって詠む歌も座を賑わしました。

 万葉集に紹介されていた右兵衛という人がいます。
「歌作の芸に多能なりき。
 職場に酒や肴を持ち込んで、府の役人たちをもてなした。あるとき、肴を盛った蓮の葉にちなんで歌を作れといわれて、即興で作ったうた」
3837番
*ひさかたの雨も降らぬか蓮葉にたまれる水の玉にあらぬ見む

また、長忌きおきまろという人は、出題された言葉を織り込んで歌をたくみに作ったそうです。 
3824番
*さしなべに湯沸かせ子どもいちひつの檜橋より来む狐に浴むさむ
(夜中に宴会をしていて、水漏り時計が夜半になったので、人々に、この器具、狐、川、橋などにかけて歌を詠めと言われ、作ったうた)

3826番
*蓮葉はかくこそあるものおきまろが家なるものは芋の葉にあらし
(自分の妻は芋の葉とけんそん)

3827番
*一二の目のみにあらず五六三四さへありけりすごろくの頭
(すごろくの頭を詠む)

3829番
*醤酢に蒜搗き合へて鯛願ふ吾にな見えそ水葱のあつもの
(酢、醤、蒜、鯛、水葱を詠む)

3830番
*玉掃刈り来鎌麻呂むろの樹と棗が本をかき掃かむため
(玉掃、鎌、むろ、棗を詠む)

 多少無理してでも、全てを読み込んでこそ芸人!人々を喜ばせる芸人魂を盛った万葉人たちです!









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