夜郎
夜郎 (やろう) は、《史記西南夷列傳》に記されている、中国・漢の時代における小国。現代の貴州省もしくは雲南省あたりにあったと思われる。いつごろ建国されたかはわかっていないが、夜郎に関する最後の記録は、前漢末期に漢の柯郡太守陳立に夜郎国王の興が斬首され殺された、というもので、その直後の紀元前27年あたりに滅びたと見られている。後世に伝わる話として有名なのが、広大で巨大な漢を作りあげた武帝が夜郎国に使者を遣わしたところ、漢の使者に会った夜郎国の王が「ところで漢とわが夜郎国とどちらが大きいのか?」と尋ねたという。この話から、世間知らずのことを「夜郎自大」(夜郎は自らを大なりとする)と呼ぶ元となった国の名前。漢(かん)とは、中国の地名、王朝名、民族名である。「漢」という文字は「水の流れていない川」をあらわす象形文字で、本来、天上の銀河のことであるが、転じて長江の支流で現在の陝西省南部、秦嶺山脈の南麓に源を発し、湖北省に注いで武漢(漢口)に注ぐ漢江(漢水)を指すようになった。戦国時代、この地を支配した秦は漢江の上流域に漢中郡を置いた。秦が滅ぼされると、咸陽攻略の功労者劉邦が漢中の地に王として封ぜられ、漢王(「漢中王」の意)を名乗った。劉邦は漢中とその奥地、巴蜀で力を蓄え、項羽との戦いに勝利して、秦についで中国の再統一を果たした。中国を統一した劉邦は、皇帝として即位するにあたって旧来の国号であった漢をそのまま統一王朝の国号として用いた。この劉邦が開いた前漢と、いったん滅亡したのち劉秀によって再興された後漢の漢王朝は、あわせて400年の長きに渡ったため、「漢」は中国の地を指す代名詞のように用いられるようになった。漢民族、漢字などの語は漢王朝の名に由来している。また、漢王朝の時代に古代中国文化が完成したため、崇拝をこめて漢王朝が回顧されることが中国では一般的である。