高遠城址公園の桜 歴史と由来
開花の待ち遠しい高遠城址公園の桜信州のみならず全国的にも桜の名所として有名ですよね。その高遠城址公園の桜とはどんな由来があるのでしょうか。高遠城は戦国時代、武田信玄の家臣であった山本勘助が縄張りした堅城で城主は武田氏一族が務めた。 別名兜山城ともいわれる。 1582年(天正10年)、城主・仁科盛信(信玄五男)の時落城するが、この時籠城していた信玄の娘・松姫(盛信の妹)と、攻城軍の総大将織田信忠(織田信長嫡男)は元婚約者同士であり、落城にまつわる悲劇として知られている。桜が植えられたのは明治4年、廃藩置県によって高遠城は取り壊しとなり、城内の樹木は競売にかけられ売り払われたため、この場所は荒地となっていた。明治9年これを見かねた旧藩士たちは城跡に桜を植樹し、城下町にあった門を移すなどして公園として整備した。昭和11年、高遠閣が完成。高遠閣は観光客の休憩所、案内所として使用されているが、元々は地域の集会所として作られたものであった。昭和35年、コヒガンザクラは長野県の天然記念物に指定されました。高遠城址公園は山に囲まれた小高い丘の上にあります。桜が満開の季節になると丘全体がピンクに染まり、それは見事な姿を見せてくれます。画像は高遠さくらホテルから見た高遠城址公園人気ブログランキングに参加しています。人気ブログランキングへ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑クリックしていただけると大変うれしいです。