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テーマ:世界遺産紀行(1090)
カテゴリ:旅日記~タンザニア編~
目覚めのコーヒーか紅茶を、お部屋まで届けてくれる
サービスのある、ザンジバル・コーヒー・ハウス ![]() やはりここは、ホテルの名前にもなっているコーヒーをオーダー。 が、残念ながら、ぬるくて美味しくない・・・ ![]() おしゃれなパッケージに入ったコーヒーを、1階の喫茶室や ダル・エス・サラームの空港でも売っていましたが、 買う気になれなかった。このサービス、しない方がいいんじゃ?? 朝食は、最上階のテラスにて。 このテラス、イエメンのサナアで泊まったホテルの最上階にあった、 カートと呼ばれる噛み煙草を楽しむ、男性の社交場とよく似ていました。 ![]() ![]() 左のおじさんが持っている草が噛み煙草、カート。 噛んだ後、その葉っぱを頬がはちきれんばかりに ぱんぱんになるまで詰め込みます。 人によっては酔っ払ったりするそうで、近隣国では禁止されているそうです。 話をザンジバルに戻し、朝食は ジュース、フルーツ、菓子パン、シリアルは自由にとることができ、 カフェ・ラテやエスプレッソなどのコーヒー類か、紅茶と、 卵料理かパンケーキ、ワッフルから、オーダーできました。 この日、ワッフルは選べませんでしたが・・・ 朝食では、アイスランドから来ていたご家族とご一緒になりました。 奥さんは経営を大学で教えているそうで、 1980年代に日本に来たことがあるそうです。 小学生のお子ちゃまたちも、流暢な英語を話していたのですが、 公用語はアイスランド語、学校の授業もアイスランド語、 英語は学校の教科で習うだけなんだとか。 なのになぜお子ちゃまたちは、私以上に流暢な英語を操る?? 朝食を摂っていたところ、またも大雨 ![]() ![]() ![]() 3月のタンザニアはやはり大雨期です ![]() 朝食後、風邪気味の私を気遣い、 同行のCが街まで傘を買いに行ってくれました。 その傘を持って、大聖堂、Cathedral Church へ。 かつての奴隷市場跡に建てられた教会です。 ちなみに前日、入り組んだ路地に迷ってしまい、 「Cathedral Church」への行き方を何度か尋ねたのですが、 「Roman Catholic Cathedral」を教えてくれる人がほとんど。 「Slave Market」の方が通じるようです。 Roman Catholic Cathedral ![]() 『地球の歩き方’06~’07』(ダイヤモンド社、252、254頁)によれば、 アラブの奴隷商人は、東アフリカ全域より捕らえられたアフリカ人をザンジバルに運び、この場所に奴隷市場を造った。売り場は46m×27mの長方形で、三方はヤシの葉、一方は石に囲まれていた。市は16:00に開かれ、男の奴隷は土の上に、女の奴隷は離れた所に立たされていた。 奴隷と買い手の数はしばしば600人を超えるほどだった。アフリカ全体では奴隷船で毎年数十万人ものアフリカ人が運ばれたが、新大陸まで生きてたどり着いた人は1500万人、途中で亡くなった人はその5倍といわれる。 ![]() ![]() ![]() ![]() ↑アフリカの探検を続けたリヴィングストンが生涯を終えた ジンバブエ北部Chitamboから運んできた木材で作られたという十字架 奴隷を収容していた地下室も残っていました。 身長158cmの私が、かがまないと歩けないほどの高さの部屋が コンクリートで2段に仕切られており、奥行きもさほど広くなく、 ここに何人、収容されていたのでしょう? 奥まで入ってみましたが、沖縄の平和祈念館やひめゆりの塔に似た ぞくぞく感 ![]() ![]() ↑スウェーデン人の彫刻家が、1998年に作った奴隷の像 残念ながら、説明書きがほとんどなく、 詳しい説明は、本のコピーからなる、このボード1枚。 ![]() 他の観光客は英語、スペイン語?それぞれガイドに案内されていましたが、 その方が、この地のことをよりよくわかるのでしょうね。 ![]() ↑Cathedral Churchの左奥の、白い尖塔はモスク。 ムスリムと教会が共存した街。 哀しみ、憎しみを乗り越えるつよさを、私も身につけたい。 今日もぽちっ↓とありがとうございます ![]() ![]() 人気ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
April 22, 2008 12:15:03 AM
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