3784035 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

遊心六中記

遊心六中記

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

茲愉有人

茲愉有人

Calendar

Category

Comments

Archives

Favorite Blog

まだ登録されていません
2016.09.20
XML
カテゴリ:山歩き


山荘の部屋にザックを納めた後、有志で室堂平を夕食の少し前まで散策することに。勿論参加です。

冒頭の写真はここ「ミドリガ池」です。









池の南東端に近づくと、少し景色が変わります。

ミクリガ池よりもミドリガ池の方が数十メートル高い位置なるようです。



  
          ミヤマアキノキリンソウ(別名/コガネギク)
手許に高山植物の図鑑があるのですが、なかなか花の確認をするのは難しい。間違いがあるかも知れません。
  白い花 ヤマハハコ・・・・・かな?



この地図の中央にある大きい池がミクリガ池。その斜め上にマゼンダ色の円を付けたところがみくりが池温泉です。ミクリガ池の下側にあるのがミドリガ池で、その左斜め下の青色の円を付けたところに、この地図が立っています。立山室堂山荘の前になります。この山荘の左に黄色の円を付けたところに「立山室堂」があります。

  ウサギギク



 こんな景色が広がります。

   
     「立山室堂」  標識・説明板が前に

 説明板

この並んで立つ小屋が「立山室堂」。重要文化財(平成7年/1995年・国指定)です。
その一つの内部が今は展示場に使われていて、立山信仰の説明パネルや出土品などを拝見しました。
「現在残っている日本最古の山小屋で、立山における信仰や民俗の様子を伝える重要な建造物です。『室』とは宿泊所という意味があり、『堂』とは、御堂などといわれるように宗教施設を示すもので、室堂は、その両方の役割を合わせ持ったものでした。文献には、現在の建物は1726年(享保11年)に再建されたと伝えられており、それ以前にも建物があったことが確認されています。」(説明板転記)

 
立山室堂の前にあります。右の写真は回りこんで撮ったもの。


ケルンの如く周りに石が積まれた中央に、

    
数種類の石仏像が納められています。立山信仰と関わる像なのでしょう。



ここから、「玉殿岩屋」を拝見に行きました。この説明板が立山室堂の近く、分岐点にあります。

 
  途中で見た花々  ミヤマセンキュウ  ハクサントリカブト 

  ヨツバシオガマ

 
玉殿岩屋は少し山道を下ったところにあるのですが、その手前にこの説明板が立っています。

この説明板と少し調べたことを整理要約してみます。
立山火山から噴出した溶岩が凝結する際に、板状節理(板状の岩盤)ができ、それが発達した結果、2つの洞窟が形成されました。それが玉殿岩屋と呼ばれるようになります。
そこに立山開山を進めた慈興上人が関わってきます。慈興上人の俗名は佐伯有頼です。
この有頼が16歳の時、父親秘蔵の白鷹を持ち出し、鷹狩りの真似事をします。その折り、白鷹が飛び去ってしまうのです。父の白鷹を見つけだし連れて戻らねばなりません。白鷹を追い求め白鷹を見つけると、白鷹が有頼の手にとまろうとします。その時、熊が出て来たのです。白鷹は飛び去り、有頼が弓矢で熊を射ると、熊は矢を立てたまま山奥へと逃げて行きます。その熊の後を追って有頼は山を登るのです。洞窟の奧からうめき声が聞こえるので、有頼が洞窟の中を覗くと、そこには胸に矢がささった阿弥陀如来が立っておられたのです。その矢は、有頼が熊を射た矢だったといいます。驚き、ひれ伏す有頼に不思議な声が聞こえます。
「私は衆生を救うため、この立山に地獄も極楽も現わして、人々の来るのを待っている。しかし、世の人はまだこの尊い山を知らない。そこで私は鷹に姿を変え、熊に姿を変えて、有頼、そなたをここまで導いてきたのだ。世のすべての人が立山にお詣(まい)りできるよう努力せよ。有頼、頼むぞ」(資料1)と。その洞窟が、玉殿岩屋と呼ばれているのです。また、芦峅寺にある雄山神社には、『慈興上人』のお像とお墓があるそうです。(資料1,2,3)

 それがこの洞窟です。立山開山伝説の聖地。

         


      洞窟には、現在数多くの石仏が祀られています。

この洞窟から、少し下ったところに、もう一つ洞窟があります。

それがこちらです。虚空蔵窟とも称されるようです。
      
洞窟内には、石造の小堂と石仏が安置されています。

山から下山した佐伯有頼は、薬勢上人に弟子入りし、剃髪し慈興という僧名を与えられるのです。そして、師の薬勢上人とともに、立山開山に邁進し、立山信仰を説き広めていったといいます。芦峅・岩峅に伝わる「立山開山縁起」に記されているそうです。
尚、一説には、有頼の父である越中守佐伯宿禰(すくね)有若が立山開山をしたという同種の話が別の記録に残されているそうです。(資料1,3)
立山室堂が建設される前は、これらの洞窟が立山修験道の行者の宿泊に使用されたともいわれています。(資料4)



     洞窟は、こんな岩山の崖下に。


崖を左端に、洞窟の前に広がる風景もみどころです。






玉殿岩屋から、再び山道を引き返し登っていく時の眺め

 コツガザクラ  (高山植物は資料5,6)

ここから一旦山荘に戻ることになります。
前回、最初にご紹介した「玉殿湧水」から「玉殿岩屋」まで直接行くなら、大凡徒歩30分程度の距離だと思います。

つづく

参照資料
1) 第3回 鷹と熊  廣瀬誠氏  :「県民カレッジ」
2) 佐伯有頼  :ウィキペディア
3) 立山開山に関するお話  :「国立立山青少年自然の家」
4) 玉殿岩屋・虚空蔵窟
5) 『山渓カラー名鑑 日本の高山植物』 山と渓谷社
6) 高山植物 :「いこまいけ高岡」

補遺
室堂平  :「立山への旅」(立山黒部アルペンルート広域観光協議会)
室堂平 行楽地の天気予報  :「てんきとくらす」
室堂平 周辺のホテル・旅館  :「楽天」
みくりが池温泉 ホームページ
室堂  :ウィキペディア
岩峅寺 :「コトバンク」
芦峅寺エリア  :「立山山麓エリアガイド」
動植物フィールドノート :「黒部立山アルペンルート」

   ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


登る 立山の記憶 -1 室堂からミクリガ池、地獄谷、みくりが池温泉に  へ





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2016.09.20 15:43:11
コメント(0) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.
X