まかりまちがいマッカートニー
ジョンといえばヨーコ。同時に、ジョンといえばそりゃポール。そして私は、ジョンさんとキョーコさんに会った翌日、今度はポールに会いに行ったのでした。会うも見るも英語なら同じだい。 見ました。 上から目線でね。限りなく天井に近いブルー。席についたときにはブルーというより笑ってしまう気分だったが。はるばるここまで来てこれかい。この天井桟敷感は、何度か味わったことがあります。さかのぼれば武道館ロッド・スチュワート。限りない傍観者感覚。会場が会場のうえ、しかも昔の音響器材。遅れて聞こえてくる気がするぞ。風船蹴ってんじゃねーよコーンアタマ。そしてデヴィッド・ボウイ@横浜スタジアム。どれが本人だかわからなかった。そしてそして布袋寅泰が”前座”の、これまたDボウイ。これも武道館だったような気がする。後ろから数えた方が早かった。部外者感たらなかった。同じ列には、どう見てもボウイではなくBOOWYファン、という感じの野郎グループがいた。前座でほぼ燃え尽きる客。違う意味で、部外者感であった。そして近年、国際フォーラムのレディオヘッド。会場設備は良いかもしれんが2階席。2階の端。ひとりぼっち。冷たい座席がさらに冷たく感じられたのだった。 RHの場合、いい場所で見た経験もしていただけに、その差が辛かった。思い起こせばキリがない。 だが、そういう歴史を重ねて、 ——さすが近代(笑)。ヤフオクドームともなると、このすり鉢状態の具合がそう悪くない。距離は縮めようがないが見晴らしはいい。ポール御大のお顔をクローズアップで眺めたい、という強い思いもさほどありませんし… そして、これは昔から共通の「被害者意識」。虐げられた者たちをつなぐ連帯感。後ろに若者たちが座った。女の子の声:「ウソ、まじこれショックなんだけど!」「これってさあ、これでこの値段? ここより安い席ってあんの? どこに? それってどこが違うわけ?」(ちなみに、始まったら、「うそ、まじポールかっこいい〜」と叫んでた。)同じ被害者意識でも、今回はなんかこう、アットホームというんだろうか。前向き被害者同盟というか。この雰囲気はストーンズをロンドン郊外のフットボールスタジアム(名前忘れちゃった… ラグビーボールがTシャツについてたような。サッカーじゃなくてラグビー場?)で見た時に似てる。昔ながらのファン、それも夫婦連れだったり親子だったり、そういう人がのんびり楽しんでる感じ。で、客同士で自然におしゃべりしたりなんかする。今回、外で開場を待つ間も(これはちょっと参ったんだが、開場がほぼ1時間遅れたのである。その前に間違って山登りをしてしまった私としては、これは結構げっそりだった)、おじさん同士が仲良くなってたりなんかして。昔話にプチ花咲かせたりなんかして。どっから来たんですか?とか、チケット東京でとってもらって送ってもらったんですよ〜とか言ってる人もいて。雰囲気は和やかである。さすが和みのサー・ポールである。つづれ織りの列、私の前は若者2人組。後ろはダフ屋と見まがいそうな(実際、ダフ屋がチケットさばけなくて見ることにしました、みたいな)感じの、九州弁のおじさん2人組。そのおじさんたちはひたすら「いくら稼いどんねん」(あ、お国言葉は正確に記憶してません。博多の方たち怒らないでね)という話題である。延々立たされているうちに月が出てきた。満月、奇麗な月だが、和みのファンたちもさすがにイラついてきた(こういう時はやたら機械的に「申し訳ございません」アナウンスをするのは逆効果かもしれない)ころ、中からぞろぞろ人が出てきた。「サウンドチェック参加者集合場所」という掲示が出てたので何だろうとは思っていたが、どうやら一般ファンをサウンドチェックに立ち会わせるという企画があったらしい。だから準備も遅れたのだ。後ろのおっさん2人組は「いったいいくら払っとんねん」(あれ、これって関西弁?)と、また金の話になる。だが誰しもそれは思うところかも・・・出てきた人々は(かなりの数だった)全員,全身グッズ尽くしという感じ。ハッピの人もいたが、Tシャツはもちろん、バッグにタオルにパンフに、と、すごいモノ持ち状態である。うちの姉がケータイのメールで「ポール、グッズ売ってんの?」と驚いてたが、売ってるなんてもんじゃない。しかしこんなに大勢、しかも若者までがサ—・ポールのTシャツを嬉々として着るとは、正直意外だった。だいたいこんなにものすごい騒ぎになるなんて、実を言えば予想外でありました。… やっぱり「もう来てくれないかも」という危機感なんだろうか。とかいって、なんだかんだ言って、あんただって来てるじゃん、って話ではありますが… しかも東京じゃなくて九州まで来るなんて、なんと熱狂的ファン! …という訳じゃないのである。熱狂的じゃないから、こうなってしまったのだった。当初私は行くつもりなかった。前回が11年前の来日ということは、私はさらにその前のツアーを見たのだと思う(11年前ってたぶん私イギリスにいた… レディオヘッドがフジに出たのも同じ年かその前後。なんで私があなたがたの母国に行ってる時に、あなたがたが私の母国にいらっしゃるんですか。と声に出して、声を大にして、言いたいくらいだ)。その時は、すごいなあ、と思った。さすがだなあと思った。現役バリバリじゃないかと。この年でこれだけ声も出るなんて、と、思った。既にその時点でその感慨もあったのである。 が。今や御年71歳。ジョンさん(ポール様の元相棒ではなく私の知人のほうの)は、ポールは89年から何もしてない、と言っている。(89年って何の年だろう,といま調べてみたらワールドツアーに出た年だ。とすると、私が見たのってこのツアー…?) ウィングスの曲で好きなのはない、とまでいう。うーん、私はウィングス結構好きなのあったけどな…。そもそも、私の知ってるイギリス人——たくさんいる訳じゃないから判断材料にはならないけど——が、ポールをほめるのって聞いたことがない。しかしまあ、イギリス人ってけなすのが好きらしいから(イギリス人の趣味だ、と言ったイギリス人もいた)。とはいえ、確かにここ数年(ここ10年?)、ポールさまのアルバムを聞き込んでいる訳でもないし、従って今ひとつ弾みつかないし、前回自分が見たステージとつい比べてしまってがっかりするかも、などとも思った。...が。それがなんだか、だんだんと釣られていったのでした。やっぱりさ、なんだかんだ言って、思い入れがない訳じゃないし。ビートルズ時代の曲もやるというし。で、弾みで抽選応募した。そしたら当たった。・・・福岡が。と書いてるうちに、また前振りだけで疲れてしまいました。こんな余計なことまで書くはずじゃなかったのに。人生は予期せぬことばかりです。 で、勝手にここで締めてしまう。この項、つづく(たぶん)...