今さらいきなり大団円:「?」マークつき。
おじさんは言葉に違わず、すぐ戻って来た。(…と、いきなり前日に続ける。だってこれ、字数オーバーした分持って来ただけなんで。)まず母を助手席によっこらしょと載せ、あとは座席がないので、では私は歩いて戻ろう。…と、思ったら、「後ろ、乗ってくか?」後ろって荷台ですけど。 「え、いいんですか?」いいよ、と言われたので、法律的には知らないが、ありがたく荷台に乗りこむ。運転席側に背中をつけて、体育座り。 出発。がががががじゃりじゃりじゃり。あだだだだ。荷台は揺れる。当たり前かもしれないけど。しかも山道の下り坂。カーブもおじさん、あんまりブレーキかけてなさそうな。がががががが お昼前でよかった…途中で一度止まり、おじさん降りて、道を仕切ってる鎖を外して、通って、また鎖をはめる。一応この道は関係者以外車両通行止め、ということらしい。ふたたび、がががががずずずずずじゃりじゃりじゃり。 荷台から飛び出しそうな気がする。遠心力、という言葉を思い出す。カーブのたびに飛びそう。荷台の縁に肘かける。下に着いたら私が乗ってなかったりして。笑えるだろうな。。。 景色楽しむ余裕、ほぼゼロ。 がががががずずずずず止まった。 振り返ると平地だった。よかった〜 時間もなんとか間に合いそうだ。ほんとにありがとうございました。荷台から飛び降り、ちょおっとふらつき、母をおろして、何はともあれ、おじさんにお礼を言う。えと。「あ、あの、お名刺とかお持ちでは…」「え? いやあ、持ってないわ〜」そうですよね。私もそんなもん、持ち歩いてないです。えと。えっと。こういうときほんとに気が効かない私なのだった。お名前とか、ご連絡先とか…「いや別に、ここのもんだから、連絡先っても」そ、そうですか、そうですよね。今思いだしても、まったくこういうとき(も)駄目な奴である。そうですよねって退きさがってどうする。そのとき私が手帳を持ってれば。あとでお寺あてに手紙書こうかと、とっさに考えた。どうも発想が、現実味に欠ける。しかし最初にアタマに浮かぶのがそういうことなのだ。悪癖。もう少し、その場に足をつけてないと。ここからどういうやり取りをしたのだったか、実はよく覚えていない。そもそも焦ってたから,その場で忘れてたかもしれない。おじさんがどちらかというと、朴訥・寡黙タイプだったせいもある。 あんまりうだうだ言って引き止めてもかえって悪いかな…みたいな。集合時間も迫っていた。で、なんとなく、そのままになってしまったのである。ほんとにもう。せめてお名前だけでも、無理矢理にでも、聞いておけば。 だからせめて、この想いだけ滋賀県に飛ばします。百済寺じゃなくてやっぱり金剛輪寺だったらどうしよう。…まあ、飛ぶ方向は一緒だ… このあと母はバスで休ませてもらい、食事の場所まで運んでもらい、運転手さんにもお世話になりました。先に伝令で降りた姉によれば、バスガイドさんが添乗員さんに、「おばあさん転んだって〜」と言っていたそうである。確かにそれは事実を伝えておる。 そしてなんとか無事に帰路につき、私と母は東京まで行かずに途中で乗り換え。 東京駅に着いた姉から、「解散しました」とメール。「足元ふらふらしてる人もいたみたい。」 そう、初日朝の姉の見立てでは、もっと脱落者が出そうな気配であった。ふたを開けたら落伍したのは母ひとり。体力というより、気合い、根性の差という気がする。 翌朝、姉から「全身筋肉痛。」というメールが来た。私は筋肉痛はなかったが、なんだかぐったりしていた。 母は… … 元気だった。 母は強し。だてに長く生きてません。 そしてあの旅行から月日がたって秋九月。母の誕生日は九月の初め。おかげさまで、年の端数が要確認、というくらいまで生きさせていただきまして。 これもあのトラックのおじさんみたいな、親切な方がいてくれるおかげであります。 お誕生日当日は姉が来て、父のお墓参りからお誕生日ランチと流れる半日ツアー。母の財布には、姉があのときお寺で買ってあげた、「足萎え除け」(という名称じゃなかった気もする)草履型キーホルダーがついている。そう、山門にぶら下がってた草履と一緒。これ、結構、かわいいです。