台中デジャヴの夜:大脱線でイギリス合体
春台湾の話を書きつつ、夏よれよれヨーロッパの話を続け、 台湾人の秋の日本ツアーに同行と、並行どころか三車線大渋滞状態に陥りつつ、 本日は台湾と英国をくっつけてしまおうという天地人状態(意味不明)。 お彼岸だから彼の地とこの地もくっつくのである(本日、実は9月20日である)。 とりあえずは春三月の台湾に戻ります。台中の真夜中すぎ。 ラニの家での最後の夜である。 シャワーを浴びてさっぱりし、眠気も深めつつ、廊下を戻っていく。前にも書いたと思うがラニの部屋に3人で寝るのである。 私が窓辺のベッド、ラニとマーティンは中央のダブル(キングかも)・ベッド。一応ベッドとベッドの間に仕切りっぽく机があるが、阿里山でもみんなで同じ部屋に寝ていたし、もはや何の気兼ねもなしという感じである。 とにかく横になることしか頭になく、心身ともに寝る体勢を整えて、ドアを開けた。 ・・・あらら? 寝る体勢どころか、ふたりは無言でそれぞれのパソコンに向かっていた。マーティンはドア側の壁に張りつき、ラニは中央の机で。 …ん? その瞬間に脳裏をよぎったのである。 前にもこれと同じ状態になったことが。 頭の中でしゅばっと音を立てて記憶が甦る。逆上するごとく遡る。 そして話はいきなり台湾は台中から、イギリスはロンドンに飛ぶのであった。 もう時間も場所も好き勝手に飛ばし放題。 これとそっくりだったのだ。 あの時もシャワーを浴びて部屋に戻った。 あの時も真夜中過ぎで、あの時も私は極限的に眠かった。 季節は夏だったが、台湾の春と体感的には同じようなもんである。そしてあの時も私はおうちに泊まらせてもらっていた(こうやって書いてると、なんだかこの数年というもの住所不定無銭飲食者みたいだ)。 そしてあの時も、さあ寝ようと階段をあがってきたら、 信じられん光景が目の前にあったのである。 パソコンに向かう二人の姿。 え。うそ。 先輩はさっきまで食事をしていたテーブルで、 先輩の友人は窓際の机で、それぞれ静かに集中していた。 静謐。 ぴしっと引き締まった雰囲気。 先輩は片手に煙草を挟み、じっと画面を見つめていた。 かっこいい・・・と言いたくなる姿であった。 比喩ではなく、私はしばし呆然と立ちつくしたのである。 我が頭が鐘楼の鐘になったようでありました。 がーん がーん がーん のあと、悟った。 「できる」人はタフである という真実。 その真実を、その後もたびたび確認することになるのだが。 反射的に私は口走った。「え、まだ、寝ないんですか? あの、まだ…仕事…するんですか?」 先輩は視線をパソコン画面に向けたまま、「うーん、ま、もうちょっとだけね~」とさらりと言った。「うん、寝ましょうね~」 大げさに聞こえるかもしれないが、私は頭をぶったたかれた気がしたのである。 こうだからこそ、半端じゃない仕事ができるのだ。 だから私は駄目なのだ・・・ 食事が済み、片付けも終わり、そしたら寝る。こちらはそれしか頭にない。 ところが料理もして片付けもして、おまけに居候(私のことである)の世話もした先輩とそのお友達は、そのあとさらに仕事をしようというのである。 タフである。体力である。いや体力を出す気力なのか。 その根性はどこから来るのだろうか。 そして今またここに同じ光景が。 私の目の前でパソコンに集中するラニとマーティンも、まさに同じオーラを放っていたのであった。 力むでもなく、さらっと集中できるのだ。なぜなんだ。 やっぱりできる人は違う。…といってしまえば身もフタもないが、 能力の違いだけなら、私もここまで「がーん」とぶったたかれた気分にはならない。 実際、先輩も先輩の友人もラニもマーティンも、 頭脳的能力から言ったら、ハナから、もうハナの先っから、私とは違うのだ。 努力も違うかもしれないが、おそらく先天的に違うのだ。 したがって、それだけならば単にすごいなあで済むのである。別にいいのである。 それだけじゃないところが一番の違いなのだ。 つまり、とってもたしかに能力はあれども、エラソーにしてる人であったなら、おそらくは人として尊敬する気にはならないのである。才能は才能として認めますけれども、みたいな感じに、たぶんなるのである。 だが。 そうじゃないのである。みんな「フツー」なのである。というと本人たちは「そりゃそうでしょ」とか「異常じゃないと思うけど」とか言いそうだが、言ってみれば庶民感覚を共有できるのである(ますますよくわからないが)。 たとえばこのときロンドンで偶然一緒に泊まることになった先輩のご友人だが、この方などはっきり言って私が普段お会いできるような方じゃないのである。 具体的なことは避けますが、とにかく偉い方というか、新聞雑誌に文章書いちゃったりテレビに出ちゃったりする人なのである。 そのお人にだ、なんと私はスーツケースを運ばせてしまったのである。 アパートメントの建物正面玄関から3階まで、階段で。 なんでそんなことになったかというと、そもそもこの年イギリスはテロ騒ぎの直後だった。当然空港のチェックは厳しく、成田でも荷物検査に恐ろしく時間がかかり、その結果、遅れやら欠航やらがばしばし出た。で私はみごとにその犠牲となり、要するに荷物が行方不明になったのだ。 間をはしょるが、私の留守中に航空会社から先輩宅に連絡が入った。荷物が片方出てきたから届ける、というのだった。 英国人気質を熟知している先輩は、こりゃ来るっていう時間通りには来ない、と見抜いていた。そこでお忙しい二人がやりくりして、どちらかが家にいるように計らってくれたのである。 そんなこととも知らず、よそで泊まって帰ってきた私は、そこにスーツケースがあるのを見て仰天した。 先輩のアパートメントというのは内部で2階建になっている(ゴージャスである)。つまり3階といっても、階段は6階分ある。 なぜ階段の話かというと、階段しか方法がないからだ。 エレベーターはついているが動かない。いつ行っても動いていない。 つまり先輩のうちに泊まるときには、大荷物を6階まで引きずって登らなくてはならないのだ。 そして予想通り、英国の配達人は私のスーツケースを正面玄関、総合受付お任せ状態で放り出して帰っていったのだった。 それをわざわざ、えっちらおっちらと最上階まで運んでくれたのである。 私は申し訳なさで血の気が引く思いであった。 でもご友人は当たり前のごとくなのである。「運んであげたわよ」雰囲気がかけらもないのである。 そして今夜。 いま、夜中にラニがPCで何をしていたかというと、台北での私の宿を探していたのであった。 泊まる本人が投げてるのに探してくれていたのであった。 「いいよ、寝ようよ~」と言うと、 「うん、寝ていいよ」と言うのである。 そ、そんなことを言われても。 タフで優しい。 ハードボイルドである。 そういう人たちと出会えたのは幸せなことだ。 でも我が身を振り返ると情けなくもなるのであった。 そして旅は続くのである。 物理的にも比喩的にも。