グラスゴーの冷たい雨
やっぱりさ、その日のうちに乗継ぎが正しかったんじゃないの?―と思わせる、税関チェックの面倒臭さであった。 まずは、その日のうちに乗継ならば機内で用紙もらって書いておけたはずの、なんと呼ぶのでしたかねあれ。はがき大の、申告書。どこからどこ行ってどこに泊まって何の用っていうのを書き込むやつです。わかりますね。 あれを持たないでそのまま係官の前に出てしまい、「そこにあるから書いてきてください」と。いやそう、その前に、その場所までがやけに遠かった。格安専門航空会社だとチェックインカウンターが遠いんかい、といじけた気分になりそうな。 チェックインして、税関審査に行く前に、何かのゲートを通る。考えたら成田もあったか。喉もと過ぎれば何でも忘れる…しかしここでは写真まで撮られたぞ。税関二つか三つ通ったような気分… それにしても遠い。果たして離陸までに搭乗口にたどりつけるのかと途中で真剣に不安になる。温泉旅館の渡り廊下か病院の隔離病棟通路かみたいな、狭い通路をぐるぐる回り階段をおりスロープを歩き(一度間違えて違うところにおりてはいましたが)、で手荷物検査はジャケット脱いで上着脱いで一々調べられるため時間が恐ろしくかかる。私の前の若い男性が歩いたあとにはくっきり足型がついていた。そういう場所を歩いた足、それを再び靴の中に入れるというのは、日本人としてはかなり抵抗がある。 税関の職員は今回結構しつこかった。あれこれ訊いたあとで、それでグラスゴーには何しに行くんだというから、レディオヘッドのコンサートだと胸を張ったら、「OH、コンサート! グッド!」と言った…ように聞こえた。 あとで考えたら、「Oh, A concert, good!」であって、「Oh,THE(=their) concert, good!」ではなかった気もする。イギリス人だからレディオヘッドが好き、というはずもないのだ。もしかしたらレディオヘッドというバンドも知らなかったかもしれない。 飛行機に乗ったら外は雨だった。雨なのでちょっと遅れているとのアナウンス。昨日はお天気悪くなかったのになあ。 それでも無事に飛ぶ。ああ眼下の緑が美しい。グラスゴーもきれいだなあ……と思っているうちにすぐ着いた。雨だ。雨だし寒い。これは夜寝るとき用だけじゃなく、羽織るものも買わないと。 まずグラスゴー中心部までバス。電車の駅からは近いということなので、まずは駅を目指す。これはすぐ見つかった。すばらしい。 だがそこから遠かった。 おっかしいな・・・合ってるはずなんだけど。通りの名前も合ってるし…番地の数が合わないだけで… スーツケースを引きずって大通りを歩く。雨がひどくなってきた。しかし傘を差すと荷物を運びにくいので我慢。寒い。 おまわりさんがいたので訊ねてみた。日本で予約したときのコンファメーション・コピーを見せる。「ここに行くの? これが今日泊まるホテルなの?」気のせいかもしれないが、おまわりさん、ほんとは笑いたいような顔に見えた。気のせいだと思う、うん。一瞬、このホテルはひどいよってことかなとも思ったが。「この通りをまっすぐ行って、あのブリッジ、駅のとこの、あの下をくぐってすぐの信号渡って右」。 ん・・・私は今、そこから来たのですが・・・ これが本当に不思議なのだ。たとえば駅前の道に出て右か左に折れる、というとき、どういうわけだか私が選ぶほうは間違いである。間違いだろうと思って逆を選ぶと、今度はそれが間違いである。要するに結果は常に間違いだ。 どうして最初に確かめないか、といわれそうだが、駅から「xx方面」って、結構わかりにくいことが多い(…よね?)。地下鉄の2番出口目指したはずが3番に来てたりとかもいうことも・・・ ないのかもしれないが普通の人には。 とにかく、ちょっと泣きそうだったが、これで間違いはないと必死に歩く。ここは町のメインの通りのひとつらしく、デパートやブランド店なども並んでいる。そこをスーツケース引っ張って傘も差さずに歩いているというのは、結構悲しい姿ではある。荷物置いたら、買い物に来よ… しかし。橋の下(ちょっと怪しい、こわメの雰囲気。ゴス・ファッションの店もあった)をくぐって信号わたったが、それらしき建物が見えない。向こう側にホテルはあるけど、私が泊まるのはこんなゴージャスなホテルではない。 信号の前にパブがあって、雨にも負けず外ですでに出来上がっている人々がいる。ここを何往復しただろうか。私も一度一服して出直したい。 でもここで止まってはいけない。でもほんとにいけないのは、「間違えた」「迷った」と思うと、早足になることである。これが悪い癖である。早足になってぐるぐる回ると、さらにわからなくなる。仕舞いには、「どこにいたんだっけ?」ということになる。 何でグラスゴーくんだりまで来てこんなことをまた・・・ 電話ボックスが目に入る。もうこれしかない。ホテルに電話。駅の前にいるというと、信号渡って右手、向かいにはラディソンがある、その正面、という。 ラディソン、というのが、さっきのゴージャス・ホテルである。え。…今この電話ボックスからも見える。つまり、さっきから、ほとんどその場所にいたのである。あと一歩進んでいたら見えたのである。 そう、もうひとついけないのは、「間違えた」と思って、すぐ慌てて引き返すことだ。自信ないのですぐ方向転換するのである。そう、今一歩進めていれば…あと一度、確かめていれば… 私の人生を象徴するようである。 やっとたどりついた。もう疲れた。雨だし。 フロントの目の前に階段があったので一瞬不安になったが、ありがたいことにエレベーターが使えた。ロンドンのホテルで、やはり正面にこんな感じの螺旋階段があり、そこを3階まで登らされたことがあったのである。ここで荷物持って階段あがれと言われたらほんとに泣いてしまう。 フロントのお姉さんはさっき電話に出た人だろう。しゃきしゃきと喋りてきぱきとこなしそうな人である。とりあえず、会場までの行き方を訊いておく。ここからなら歩いても行けそうだ。よかった。お姉さんが「ここ行くの? 今日はこんな雨だけど、明日は晴れるといいですね」と。はい。晴れるといいです、明日。 ついでにさっき橋の下を通ったとき見かけたフィッシュ&チップス屋のことを訊いてみた。結構人だかりがしていたのだ。「そうねー、もちろんその日によっても違うけど、私はあそこ好きよ」。その日によって味が違っていいのかって気もするが、まあ人気の店ではあるのだろう。いる間に一度は行ってみたい。 とにかく羽織るものとパジャマ代わりが必要だ。もう夕方になってしまったし、歩き回って結構疲れたが、それでも出かける。 不思議なもので、さっきスーツケース引っ張って歩いてたときにはあれだけ目に付いた店が、いざ買いもの目当てで探すと消える。デパートも今ひとつ期待はずれ。結局何も買わずに戻ることにした。コーヒーのみたい… うろうろ歩いていたせいですでに6時くらいだし、ついでにどこかで夕飯を済ませてしまおう。駅横の店に入ってみる。外にメニューも出ていたので一応確認。中に客もいるし、まあ悪くないだろう。 ところが入っていったら、「いま飲み物しか出せないの」とカウンターの中のお姉さんが言う。は? …ランチ専門店とか…あんまし聞かないけど…それとも売り切れたから、とか… あ、今日は週末だから? いや週末じゃないよ金曜だよ。稼ぎどきなのに。 (そう、この辺で気づいても、良かったのだ…) とにかく、ないものは仕方ない。カフェラテだけ飲んで出る。ん~ 何だかむなしい。どこかでゆっくり食事したい。しかしホテルの周辺にはさっきのにぎやかなパブしかなかったし。パブの隣にチェーン店のパン屋(イートイン可)があったが閉まっていた。 さっきのフィッシュ&チップスに行ってしまうか… 来るなり「伝統食」食べようってつもりもなかったのだが。それにみんな外で立ち食いしてたんだよね… いまは座って食べたい気分なんですけど… とはいえこれ以上歩くのもやだ。で、そのうらぶれた橋の下のフィッシュ&チップスを覗きにいく。新橋ガード下なら屋台のベンチがあるのになあ。あ、そういえばこのあいだ読んだのだが、外国人が日本に来て困ることのひとつが「ベンチが少ない」ことだそうだ。確かに町中では日本よりもこっちのほうがベンチは多そうだけど、でも、自分たちだって、立って食べてんじゃんよ! しかし店を覗いたら奥に席がある。あら。で、どういうわけか私が覗いたときには他に客がいなかったので、なんとなく引っ込みもつかなくなり、スタンダードにフィッシュ&チップス注文。「塩と酢は?」はい、お願いします。それがないと気持ち悪くなりそうです。 およそ食べ物については例外なくそうだが、ほんとに太っ腹の盛りようである。でかい魚。タラかその手の白身だからべろんと薄いけど、でかい。その上に、どさどさとチップスを降り注ぐ。マクドナルド式の細いのではなく、ケンタッキーフライドチキン形の太いやつ(最近食べてないけど、いまもそうだよね?)。言い忘れたが下は皿ではなく紙である。紙に乗っけてくるむのだ。遠い昔に初めてフィッシュ&チップス食べたときからまったく変わらないんだなあ。 その包み方はけっこう器用なものだが、それでも食べるほうは大変である。イモと魚、一身同体。持ってるうちに魚はぼろぼろ崩れてくる。手、洗いたい… これ中で食べていいのかな、と、カウンターの向こうを覗くと、すかさず店員(これまたインド系であった。インド人が売るフィッシュ&チップス。国際的だ)に、「あっちは料金が違う」と釘を刺された。差額出せば許してくれます?と言おうかとも思ったが、私が注文しているあいだに後ろに人が並んでしまったのでおとなしく引っ込んだ。店の前で食べてるのもはばかられ、そのまま駅の裏に入る。さっき通ったときに見かけたおばあさんがまだいた。老人が孤独なのはいずこも同じである。 階段のそばに陣取って食べる。ベンチはない。むなしい。時々電車が着いたのか、どっと人が出てくる。その波が過ぎるとまた静かになる。警官が常にいるべき場所なのか、その制服が何だかものものしい雰囲気。まあそこにいてくれれば日本人観光客は安全ではある。 だんだん胸が悪くなってきた。おなか一杯。本当にみんなこのチップス全部食べるんだろうか。 食べる前もむなしかったが、食べたあとは満腹に反比例するようにさらにむなしい。日本を立って2日、いったい何をしてるんだか。悲しさを紛らわせるために人は食べる。やばい。この辺でやめておかないと。 さっさと帰って寝よう。…ほんとに何やってんだか。…まったくである。そのとき実際、そんなことやっていてはいけなかったのだ。 今回こそその話まで行くはずだったのに、また引っ張ってしまったのでした…